若い方々の結婚観がわかりづらいのは年のせいか、それとも脳の中身が全く異物であることに気づかないだけなのか、なんてふと思う。でも、この映画、何か颯爽とした清涼感が吹きあふれ、僕は気に入った。これだから映画は見ないとわからない。
途中で長澤がいなくなるので、主役がそんなに不在でいいのか、なんて思う時もあったけど、それはそれでその不在がこの映画の底流を流れるテーマだからと思いつくまで、その時間感覚が後で惜しくなるほど愛しい。
全体に及ぶこの現実感との違和感は何か?
おそらくこの原作がどうもあやしいのではないか。小説的過ぎて、実際的な生活感に乏しい、とまで言わないけれど、でも逆に考えるとこの映画の魅力のほとんどがこの現実感の不在にあることに気づく。人工的な話だけれど、若い人たちの脳裏にある愛の実現とはこういう形で行われるものなのかもしれないと僕は最後の帰結で思い当たる。
美しい。実に美し過ぎる。そして悲しくもある。この現実感の欠如が若者たちの心の空洞の現実なのだと僕は思い当たる。
若者たちよ、君たちは美しすぎる。でもそれで生きていけるのか、、?
「年食った老人たちが私たちにかまわないで!」
ピンタを強く浴びせられたような映画であった。
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