いかにも人生を荒く生きてしまっている女51歳。彼女は母親にさえ厭われている風に見える。毎日ぎすぎすしている。
有能美人弁護士。仕事とセックスだけで毎日生き伸びている。暗い心の孤独は誰から見ても明らか。彼女は37歳。
そして、夫婦仲はいいものの、肝心の子供に恵まれない黒人女性。気持ちが強すぎて夫の真底の気持ちからはぐれてしまう彼女は30歳ぐらい。
女の話である。女と生まれ出る子供との話である。【ガルシア】にかかると男は添え物に過ぎなくなってくる。この話に出てくる男は人形っぽい。受身でおとなしく女をじっと深く見守っている。
この映画は女性でしか作られないと思った。女性の視点である。ものすごく繊細で、しかしとても大胆でさえある。だから、監督が男だと知ったその驚きは並大抵ではなかった。
51歳の女。14歳で子供を産み落とし、親から子供を取り上げられそれがその後の37年間、無明の世界にいる原因となる。トラウマ状態である。その37年間は説明されないが、彼女の今の様子からみてようやくにして納まった感がある。37年間は取り返せない歳月だ。だから子供を取り上げた母親を真底許していない。これが母親とのトラウマとなり、母親は娘に心で詫びを入れるも、和解出来る機会がないままこの世を絶ってしまう。
37歳の女。生まれ落ちた時に捨てられた女である。彼女はこの世を、母親をずっと呪ったことだろう。その強い憤りが彼女の生き様となり、彼女は優秀な弁護士となっている。女も男も許してはいない。人間嫌いである。決して誰かに頼ろうとはしない。血の関係が彼女を悩ませるのであるから、セックスはしても婚姻をしようとは思わない。むしろ呪われたこのセックスを快楽と化することが彼女の何かへの闘いでもあった。
30歳の女。子供ができない女である。どうしても欲しいがために愛する夫の気持ちを考えなくなっていく。そしてようやく手に入れた待望の養子。だが、夫は遠くへ離れて行った後だった、、。
男でもこの気持ちは分からなくはない。否、本当は男は絶対に分からないのかもしれない。なぜなら、男は子供を持つことはあっても、産むことはない。これはやはり大きい。これだけは神秘的だ。頭では分かっても永遠に分からない謎なのである。
だからこの映画は女と男では捉え方が違うのか、というとそうでもないような気がする。それほどこの映画は心の襞に揺れがない。男の僕が見てもまさに女性ってこういうものだろうなあと納得させられる。それほど女性という真実に近づいていると思う。だから、当初、この映画の監督が男であることが僕は信じられなかったのである。
弁護士の女はふとした間違いから自分があれほど忌み嫌っていた妊娠をしていた事実を知る。彼女は住居を離れ、一人で産む決心をする。異常妊娠になっていても、帝王切開には応じず自然分娩を強要する。産道を通らせたいのだ。自分の辿った37年間の最初に邂逅したいのだ。自分の原点に戻りたいのだ。そして、あの時と同じように、生まれた子供を見てどう思うのか、それを経験したいと思う。
そして彼女は子供を産んだ。一瞬生まれ落ちたわが子を見る。一瞬にして彼女は母親の気持ちを知る。そして意識を失うのだ。
その母親は娘に会えず、その後、逆に死を告げられた女は失望する。しかし、孫に会うことで娘を知ろうとする。養子縁組した黒人女性の所に孫を日参する。それは娘と会っているかのよう日々の連続であった。彼女は初めて人間としての温かみを取り戻す。
この映画は通常の映画のようなハッピーエンドにはしない。人が何かを得ようとすれば何かを失うこともあるのだ。でもその厳しいまなざしにおいて、この映画の感動は引き締まり、余韻は後々まで尾を引くことになる。
秀作である。でも、この映画が男の手でなされたということの不思議さはやはり男の僕だからこそあるように思える。ひょっとしたら異性のことは異性が一番よく分かるのかもしれないですね、、。
有能美人弁護士。仕事とセックスだけで毎日生き伸びている。暗い心の孤独は誰から見ても明らか。彼女は37歳。
そして、夫婦仲はいいものの、肝心の子供に恵まれない黒人女性。気持ちが強すぎて夫の真底の気持ちからはぐれてしまう彼女は30歳ぐらい。
女の話である。女と生まれ出る子供との話である。【ガルシア】にかかると男は添え物に過ぎなくなってくる。この話に出てくる男は人形っぽい。受身でおとなしく女をじっと深く見守っている。
この映画は女性でしか作られないと思った。女性の視点である。ものすごく繊細で、しかしとても大胆でさえある。だから、監督が男だと知ったその驚きは並大抵ではなかった。
51歳の女。14歳で子供を産み落とし、親から子供を取り上げられそれがその後の37年間、無明の世界にいる原因となる。トラウマ状態である。その37年間は説明されないが、彼女の今の様子からみてようやくにして納まった感がある。37年間は取り返せない歳月だ。だから子供を取り上げた母親を真底許していない。これが母親とのトラウマとなり、母親は娘に心で詫びを入れるも、和解出来る機会がないままこの世を絶ってしまう。
37歳の女。生まれ落ちた時に捨てられた女である。彼女はこの世を、母親をずっと呪ったことだろう。その強い憤りが彼女の生き様となり、彼女は優秀な弁護士となっている。女も男も許してはいない。人間嫌いである。決して誰かに頼ろうとはしない。血の関係が彼女を悩ませるのであるから、セックスはしても婚姻をしようとは思わない。むしろ呪われたこのセックスを快楽と化することが彼女の何かへの闘いでもあった。
30歳の女。子供ができない女である。どうしても欲しいがために愛する夫の気持ちを考えなくなっていく。そしてようやく手に入れた待望の養子。だが、夫は遠くへ離れて行った後だった、、。
男でもこの気持ちは分からなくはない。否、本当は男は絶対に分からないのかもしれない。なぜなら、男は子供を持つことはあっても、産むことはない。これはやはり大きい。これだけは神秘的だ。頭では分かっても永遠に分からない謎なのである。
だからこの映画は女と男では捉え方が違うのか、というとそうでもないような気がする。それほどこの映画は心の襞に揺れがない。男の僕が見てもまさに女性ってこういうものだろうなあと納得させられる。それほど女性という真実に近づいていると思う。だから、当初、この映画の監督が男であることが僕は信じられなかったのである。
弁護士の女はふとした間違いから自分があれほど忌み嫌っていた妊娠をしていた事実を知る。彼女は住居を離れ、一人で産む決心をする。異常妊娠になっていても、帝王切開には応じず自然分娩を強要する。産道を通らせたいのだ。自分の辿った37年間の最初に邂逅したいのだ。自分の原点に戻りたいのだ。そして、あの時と同じように、生まれた子供を見てどう思うのか、それを経験したいと思う。
そして彼女は子供を産んだ。一瞬生まれ落ちたわが子を見る。一瞬にして彼女は母親の気持ちを知る。そして意識を失うのだ。
その母親は娘に会えず、その後、逆に死を告げられた女は失望する。しかし、孫に会うことで娘を知ろうとする。養子縁組した黒人女性の所に孫を日参する。それは娘と会っているかのよう日々の連続であった。彼女は初めて人間としての温かみを取り戻す。
この映画は通常の映画のようなハッピーエンドにはしない。人が何かを得ようとすれば何かを失うこともあるのだ。でもその厳しいまなざしにおいて、この映画の感動は引き締まり、余韻は後々まで尾を引くことになる。
秀作である。でも、この映画が男の手でなされたということの不思議さはやはり男の僕だからこそあるように思える。ひょっとしたら異性のことは異性が一番よく分かるのかもしれないですね、、。
僕こそ女性のことは全く分かっていないです。認知度5%ぐらいでしょうか。それが原因で毎日家庭内は黙殺されております。
本当にいい映画でしたね。
と言ったエリザベスの言葉には心が震えるおもいでした。
ヌートリアEさんがおっしゃる、
“自分の原点の邂逅”なるほど。
そういう思いもあったのかもしれませんね。
私は14歳で自分を産み落とした母の思いを
肌で確かめたかったのかな、と感じたりしました。
男性でこの作品の心が読めるなんて、
女性のこと、よく解ってらっしゃる!(笑)