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ウッドストックがやってくる! (2009/米)(アン・リー) 80点

2011-02-05 16:06:07 | 映画遍歴
この映画は、ウッドストックを描くのではなく、ウッドストックに巻き込まれる一家族の姿にスポットを浴びせたものだろう。だからこの映画では、祭りの前後は描かれるが、肝心のコンサートは多少音が聞こえるのみですぽっと落としている。果たしてアメリカにとってウッドストックとは何だったのだろう、、。

当時は確かに僕も感受性の高い年齢でしたが、ほとんどウッドストックについては興味がなかった。記憶に残っているのはヒッピーたちがやってきて野外で40万人以上集まり、大変な社会現象を起こしたいうイメージだけです。

で、映画はそのウッドストックのなれそめから宴の後状態のごみの山まで見せているが、要するに裏方の話である。カネのために音楽祭を誘致したゲイの青年とヨーロッパ辺りから逃れてきたユダヤ人の両親とのどこにでもありそうなフツーの家族の物語だ。

まずユダヤ人独特の長ーい鷲鼻を持つ主人公。どこにでもいそうな一般の青年だ。田舎にくすぶっている自分に本当は身の置き所をなくしている。家には愛情もない。カネもない。仕方なしに経営しているモーテルもいやでいやで仕方がない。そんな何もない状態の家族に大疾風が吹いてくる。それがウッドストックなのだ。

映像ではどこからか押し掛けてくるヒッピーたちのスゴい群像ぶりを見せてくれる。でも本当に観客たちはこんなヒッピーだらけだったのだろうか、、。普通の人たちもフリーダムに共鳴してヒッピー風の装いをしていただけではなかったのか。そんな感もするほど見事普通の人々の格好は見られない。

当時流行っていたサイケ的な思想感覚も映像では掘り下げられ、すぐ裸になる演劇集団も見られる。そしてLSDが違法でなかった(そうでしたよね)当時の薬づけが映像で主人公ともども僕たちも体験することになる。この映像シーンがとても秀逸で、完全疑似体験ができたようにも思えるほど。しかもその映像表現がCG的にも素晴らしい。この映画のハイライトである。

結局主人公の青年はコンサートを見ることもなくウッドストックを経験してしまうのだが、音楽祭以上のものを40万人の人間から受け取ってしまうのだ。それは人間が自由だということ。本来人は自由なのだ。当時のヒッピーは生まれ出た人間の自由さをそのまま謳歌しようとしたのではあるまいか。まず人間の中から知らない間にくっ付いた様々な既成概念を外すことが自由への一歩なのだろう。

その本当の自由を青年は知ることになる。そして両親もカラカラだった体内に新鮮な血液が流れ始めたかのように本来の自分に戻る。

40年もたった今、僕はまだウッドストックのビデオさえ見ようとしなかった。ヒッピーなんて、というこだわりから逃れられていなかったのだ。ウッドストックという自由の場にいたのはヒッピーではなく、本来の殻から抜け出た自由の人、いわゆるフリーダムの人たちだったのだ。

アメリカと日本とでは現代と違いかなり時間差があったように思う。でも、あの本来の自由を体験したアメリカ人たちは現在あの時をどう思っているのだろうか、、。そして一体全体フリーダムとは何なのか。

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