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再会の街で (2007/米)(マイク・バインダー) 85点

2008-01-06 19:33:38 | 映画遍歴
9.11だけに限らずある日家族で自分だけが生き残り他のみんながいなくなってしまったということは交通事故等確かに起こり得ることだろう。たまたま自分の身に降りかからないだけであり、そういう人は毎日どうやって生きていけるのだろうと思ってはいた。
この映画はまさに町を歩けばすべての人たちが、犬が、自分の妻や娘たちに、また飼っていた犬に見えてしまう9.11で一人残ってしまった遺族の男の話である。
彼が毎日行っているのは家族のために台所の模様替えをやるしかなく、町に出ては簡易スクーターで(この乗り物がやけにいい)ペンキを買っては運んでいる。他者はすべて忘れ去っており、茫然自失状態がずっと続いている。
普通はここまでいくと、何か事件を起こしてどんどん落ちていくんだろうけれど、映画では玉をこめないピストルを警官に向け殺されようとするのだが、簡単に捕まってしまい裁判にかけられる。
この裁判シーンが少々あざとい気もするのだが、まあ路上でピストルを向けるオカシイ男だから、いくら9.11の遺族だからといってニューヨーク市民的には危なくて仕方がないから、本人の再生を考えるよりまず市民として病院にずっと閉じ込めておいて欲しいというのは一般的な判断かもしれない。だとするとあの裁判シーンのあざとさはノーマルなのかもしれない、とも思える。

この映画の立地点の素晴らしいところはまずアダム・サンドラーが夜中にドン・チードルの家に急にやって来て、彼を見て風体等で家族が訝るシーン。
ドン・チードルがそういう態度は失礼だよときっぱりと娘に言い放つところはまさに立派である。どんな人間でも、まず人間対人間の応対は必然というヒューマンな公平さにこの映画は基づいているのである。

冒頭にも言ったが、ホントこんな過酷な状況でも人間は生きていかなくてはならないのだろう。アダム・サンドラーの気持ちは痛いほど理解でき、彼の演技もまったく演技賞もの。派手な演技でないから本当はこういう演技の方が難しいはずだ。
ドン・チードルも中庸な人間でありながら、人間としての深みをたたえる主人公を好演。イカレた患者や、歯医者受付、チードルの妻、裁判長のドナルド・サザーランドもそれぞれ立派。アメリカ映画屈指のヒューマンドラマである。




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