坂本龍馬と妻のお龍は、西郷さんらの勧めで鹿児島を訪れて、寺田屋事件で受けた傷を癒すため霧島の温泉へ行きましたが、これが日本最初の新婚旅行だといわれています。
鹿児島の、龍馬の足跡を3回に分けて紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/cf/38248b98d195e886b505e73869cfe9d7.jpg)
鹿児島から舟に乗って、隼人町の浜の市港(今の隼人港)に上陸しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e0/dda94e27e3e947f44c8c7a4e27357f44.jpg)
浜の市港の入口(錦江湾側)を望む。
橋は高速道路の橋で、その向こうの島は、隼人三島のひとつ辺田小島。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/bd/2d340263720086fe6cce7337cf00f5a9.jpg)
港にある恵比寿神社。
御神体は1730年に建立されたものですが、隼人港の完成を記念してここに移されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/1a/b005ad701ac65554ecbd42dce3526664.jpg)
港の近くにある、坂本龍馬上陸の地の案内板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/5d/546cd890336fdda6fd865c98b3c3f177.jpg)
龍馬夫婦は、霧島に向かう途中、日当山温泉に泊まりました。
これは、侏儒どん温泉。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/9f/666104ba1b0689ae450c9bdfaee5e15b.jpg)
西郷さん愛用の宿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/91/26ca51c39bb4ec16660018640667bc29.jpg)
侏儒どんの像。
日当山侏儒どんは、島津家第18代家久公、第19代光久公に仕えた人で、御鷹師から日当山地頭職(今の村長)を勤めました。
風流こっけいな頓知話で藩主の寵愛を受け、その頓知話は今も語り継がれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/6a/1f8916bd236645da577cf0c1cfde75c1.jpg)
侏儒どん橋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/d3/8fad2d6fc9c9c930464fec5900f3e24d.jpg)
龍馬の渡し。
龍馬夫婦は、ここで天降川を渡り、霧島へ向かいました。
鹿児島の、龍馬の足跡を3回に分けて紹介します。
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鹿児島から舟に乗って、隼人町の浜の市港(今の隼人港)に上陸しました。
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浜の市港の入口(錦江湾側)を望む。
橋は高速道路の橋で、その向こうの島は、隼人三島のひとつ辺田小島。
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港にある恵比寿神社。
御神体は1730年に建立されたものですが、隼人港の完成を記念してここに移されました。
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港の近くにある、坂本龍馬上陸の地の案内板。
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龍馬夫婦は、霧島に向かう途中、日当山温泉に泊まりました。
これは、侏儒どん温泉。
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西郷さん愛用の宿。
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侏儒どんの像。
日当山侏儒どんは、島津家第18代家久公、第19代光久公に仕えた人で、御鷹師から日当山地頭職(今の村長)を勤めました。
風流こっけいな頓知話で藩主の寵愛を受け、その頓知話は今も語り継がれています。
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侏儒どん橋。
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龍馬の渡し。
龍馬夫婦は、ここで天降川を渡り、霧島へ向かいました。