辞書を英語でdictionary(ディクショナリ)というが、これをジヒクショナリ(字引く書なり)と覚えたらいい、と聞いた人は多いと思う。
また、道は英語でroad(ロード)であるが、これをひっくり返すと日本語の道路(ドーロ)となる。
このように、日本語と英語の間に共通性のある言葉がある。
このことに着目したのが、清水義範の「序文」という短編小説である。
「英語の語源は日本語である」という奇天烈な学説を唱える素人学者の学術論文の序文、という体裁をとっている。
もちろんパロディなのだが、学者が自説の根拠としてあげている日本語と英語の共通性を見てみよう。
日本語から英語にどう変化したかを示している。
名前(namae)→name(名前) namaeからaをひとつ取ればname
坊や(boya)→boy(少年)
犬寝る(kenneru)→kennel(犬小屋)
汁(ジュー ju)→juice(ジュース)
負う(ou)→owe(負う、借りがある)
斬る(kiru)→kill(殺す)
場取る(batoru)→battle(戦い) 日本の戦いは、相手の場(領地)を取ることだった。
掘る(horu)→hole(穴)
述べる(noberu)→novel(小説)
疾苦(sikku)→sick(病気)
だるい(darui)→dull(鈍い、活気がない)
たぐる(taguru)→tug(引き寄せる)
凍る(koru)→cold(冷たい)
このような共通性は、英語以外の言語と日本語との間にもあるかも知れない。
また、道は英語でroad(ロード)であるが、これをひっくり返すと日本語の道路(ドーロ)となる。
このように、日本語と英語の間に共通性のある言葉がある。
このことに着目したのが、清水義範の「序文」という短編小説である。
「英語の語源は日本語である」という奇天烈な学説を唱える素人学者の学術論文の序文、という体裁をとっている。
もちろんパロディなのだが、学者が自説の根拠としてあげている日本語と英語の共通性を見てみよう。
日本語から英語にどう変化したかを示している。
名前(namae)→name(名前) namaeからaをひとつ取ればname
坊や(boya)→boy(少年)
犬寝る(kenneru)→kennel(犬小屋)
汁(ジュー ju)→juice(ジュース)
負う(ou)→owe(負う、借りがある)
斬る(kiru)→kill(殺す)
場取る(batoru)→battle(戦い) 日本の戦いは、相手の場(領地)を取ることだった。
掘る(horu)→hole(穴)
述べる(noberu)→novel(小説)
疾苦(sikku)→sick(病気)
だるい(darui)→dull(鈍い、活気がない)
たぐる(taguru)→tug(引き寄せる)
凍る(koru)→cold(冷たい)
このような共通性は、英語以外の言語と日本語との間にもあるかも知れない。