サムネの破壊力で釣り、声とのギャップで掴み、ネタのおもしろさで虜にする。この無双三段(ネタが古い)に耐えられる人間がいるだろうか、いやいない。
そもそも、江ロ、もとい江戸時代ではいわゆる春画が「艶本(えんぽん・えほん)」や「笑本(えほん)」などと呼ばれており、エロスとワロスが密接な関係にあることを、先人たちはそのHもとい叡智により直観していたのである(・∀・)
それは何も日本に限った話ではない。例えば、明の四大奇書の一つとして『三国志演義』や『水滸伝』と並び称される『金瓶梅』の作者は、笑笑生を称した。あるいは古代ギリシアの代表的喜劇の一つ『女の平和』において、ペロポネソス戦争に明け暮れるアテネやスパルタの男どもを停戦させるため、妻たちが団結して夜のボイコットを行う。ヘコヘコ状態になった戦士たちは最初の高邁な理由づけ(注:デマゴーゴス跳梁跋扈状態)はどこへやら、這う這うの体で和平を結ぶことになるのであり、その様は笑いを誘わずにはおかないだろう(まあエパメイノンダス率いる強健なウホッ集団には通用しないけどなw)。
このようにして見ると、エロスとワロスのリンケージは特殊具体的な妄想などではなく、むしろアカシックレコードと思えるほど根源的・本質的なものだ。そしてコバキチなる製作者は、まさしくその深淵を覗く者の一人と言えるのである( 。∀ ゜)
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