テレビはもう20年以上まともに見てないが、そのバカ踊りがあまりに出来上がり過ぎてて、むしろテレビ番組がサブでその外側での右往左往こそがメインだよなあという感すらある😀
これを良く言えば「愚昧さの展覧会」という酒の肴で、普通に言えば「特急呪物クラスのオワコン」なわけだが、それをわざわざ取り上げる理由は、その様態が日本の縮図に他ならないからだ。
すなわち、「過去の栄光にすがる」+「貧すれば鈍する」のゴールデンコンビであり、要は「失敗の本質」をまるで理解することなく、どんどん悪化する状況の中で金が減り、人も減っていくことでさらに質が下がり、かくてさらに金も人もいっそう減るといる負のスパイラルに陥っていく、と。で、いよいよもって変革に動かねばという時には、もうそもそもその泥船を浮かべておく必要性を誰も感じなくなっている、という次第である(・∀・)
もちろん、大手マスメディアはホールディングスの形態を取っているため、他メディアや不動産事業も関連しており、テレビ衰弱(死)=会社全体が死亡というわけではないが、むしろ逆に、そういった「逃げ道」があることが、危機感の欠如や変化の鈍さの背景になってしまっているのではないか。
まあ日本社会の全てがこうだという話は極論であり、既存の枠内に収まらず、批判を受けながらも変化・拡大を模索する様々な取り組みがなされていることは多井隆晴や儒烏風亭らでんの件などでも書いた通りだ(あるいは既存システムの不合理性と、その変革の提言やその手法も参考になる)。とはいえ、こういうマインドの閉鎖的組織はそこかしこに存在しており、ダメ組織の典型例として他山の石にすべきではあろう(というか、ジャニーズ問題や宝塚の騒動含め、2023年ほどその問題性が噴出し、強く意識された年はかつてなかったのではないか?それを踏まえてもなお何もなしえないのならば、その組織の変化は死ぬまで不可能と思っておいた方がよいだろう)。
それを支えてきたのが、出る杭をモグラ叩きしつつ、理念もリスクテイクもなく、忖度による「寄らば大樹」的な発想を促進する雇用・教育システムであることも含めてね(単に「日本人の精神性」といった抽象的な心の習慣のみに求めるべきではなく、システムとそれへの合理的適応という側面にも注目すべき、ということ)。
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