久々のフラグメントである。<日本的想像力の未来>という題名と対話篇の片鱗だけ残して終わっているが(笑)、要するにここで扱いたかったのは勧善懲悪的でない作品群と、それらを生み出す想像力についてである。この視点については今このブログでも繰り返し取り上げている傑作「この世界の片隅に」を思い返していただければ十分だと思うが、草稿ではPCゲーム「沙耶の唄」、アニメ「まどか☆マギガ」、映画「レバノン」を取り上げている(ついでに言えば、原作の「デビルマン」や「ぼくらの」もそういう系譜の作品の代表と言えるだろう)。そして、それらを貫く問題として、「交換可能性」が訴えかけるものを書こうとしたのが<凡庸なる悪>という構成になっている。
ちなみにまどマギの話につけた<この世にかなわぬ願いなく>は、自分が一時期ハマっていた「ブギーポップ」のアニメ版より題名を借用。「レバノン」の記事の題名はなんか適当につけたものだった気がするw
ところで、まどマギは本編をもう一度見てから劇場版を見に行こう・・・とか言っているうちに5年も経っちまいましたわ(;´∀`)この作品ほど、見ながら「うんうんそうだよね」と思ったものはない。逆に、何で他の作品はこうならないんだろうか。製作者たちの頭の中がお花畑なのか、それともチーズケーキが好きな連中を忖度してのことなのか。改めて不思議に思った。
前も書いたかもしれないが、まどマギの話がきついのは、決死の覚悟の元で厳しい戦いをしているにもかかわらず、それが報われることは決してなく、またそのような自分の存在自体が交換可能であり、かつそれがマッチポンプ的にシステムに組み込まれていることにある(構造は違えど、無邪気な正義など成立しえないという意味においては、傑作「ダークナイト」を連想するとよいだろう)。本来、このような作品を真摯に受け止めた後では、今までの英雄譚などほとんど藁クズのようなものであって、到底見るに堪えない心情になるはずだ。しかるに世の中にはまだそのようなジャンクが溢れかえっているのは一体どいうわけなのだろうか?まああの作品でさえ、「絆」というワードを軸にした感動モノとして消費しているようなら、もはや病膏肓に入るというもので、はやくシャブ漬けにでもならなきゃ生きてて辛いんじゃないかと思う)。
とまあ毒を吐くのはこの辺にして。「レバノン」についてはamazonのレビューで「反戦映画でいやだ」とか「状況がよくわからん」とか書いてあったけど、「これが戦争の恐ろしさやで」ってーのがこの映画見てもわかんないってスゴイなとある意味感心した(確かに戦争そのものは日本人にとって馴染みのない世界の話かもしれないが、南方ジャングルの行軍の厳しさや恐怖は、二次大戦のものだけでも腐るほど語られている)。電脳化でもすりゃあともかく、人間が完全情報の状態になることはありえない(これは最近よく取り上げる傑作、「この世界の片隅に」を見れば特にわかりやすい。たとえば廣島の肉親が生きていることをすずが知るまでには、月単位の時間が流れている。またすずが見ている世界があくまでa point of viewにすぎないことは題名とも相まって随所に示されている)。それでもなお命令に従って行軍せねばならない・・・という戦争の閉鎖性とそれが伴う暴力性や恐怖を、銃撃戦などとは違う形で受け手が追体験できるように表現しているのだ(「レバノン」と方法は違うが、映画「野火」においては五感を支配する仕方でその極限性をよく表現していた)。そこから目をそらして「反戦っぽいメッセージが嫌だ」ってんなら、そんなに生々しいものを直に見せられなければ何もわからないってんなら、三浦瑠璃じゃねーが一度外人部隊にでも入ってこいよと言いたいね(一応言っておくと、三浦瑠璃が主張しているのは正確には無益な戦争の抑止力としての徴兵制である)。なるほど確かに、この映画を見て「だから武装化・戦争はイヤなんだ」と臭いものに蓋をして思考停止する連中は白痴以外の何物でもない。ただそれと、こういう作品がダメだってのは全く別のことだろう。
<日本的想像力の未来>
(登場人物) シャバンヌ=C ブレットシュナイダー=B
<沙耶の唄>
純愛の前哨戦。
エンディングの失敗。多分人の受け取り方を理解してない。言い換えれば、人が対象(集団・個人であれ)にコミット、埋没する構造がわかってない。そんな人間が狂気の歴史や理性も狂気などとのたまうのはちゃんちゃらおかしいね。でも日本の痴の限界もよく示している(嘲笑と埋没、俺はやらねと思っている、極限状況)。シニカルなんてそんなもんだ。沙耶を撃つ耕治。過剰。異形の者を見た上にみんな死んで呆然、でも充分では?死にかけてなお血まみれ?下半身なし?郁紀を求める。それも過剰だが、さらに耕治にガンガン撃たせる。その行為の必然性はわかる。理解不能、理不尽さ、恐慌はやり場のない怒りへと変わる。とはいえ、その効果は如何。沙耶の姿見せずにやってっから耕治タンが悪役のように感じられる。これがバッドにしか見えない理由じゃボケ。
すでに何度も指摘してきた。エンディングの「失敗」、視点の等価性、受容環境の変化など。屋上屋を重ねる行為
沙耶が死ぬエンド。
瀕死の沙耶が郁紀の(おそらく手を握ろうとしている)
そこで耕司が恐慌状態に陥ったように~する。
この行為の必然性は理解できる。いくら郁紀が異常な行為に走ったとは言っても、ここにくる直前まで耕司が見たものはまだ常識の範囲内で ものだった。もちろん、食事用の人肉とか。
あらゆる不条理や理解不能なものに対する恐慌と怒りが爆発した。だから過剰であって「正しい」のだ、と。
沙耶と~したばかりの郁紀が、津久葉=「怪物」の告白を冷たくあしらうのも「当然」なら、それが正常な人間同士のやり取りに見える青海が憤るのも「当然」。二つの必然。
なるほど確かに。では、プレイヤーにどう見えるか。そこを完全に見落としている。「萌え」、庇護の
あれは一つのダメ押し。
<この世に叶わぬ願いなく>
おもしろいというよりは「然り」という感じ。
【家族描写の妙】
【キュウベエの描き方】
【世界への「祈り」】
<凡庸なる悪>
であるがゆえにそれが交換可能であって、条件さえ整えば構造的にいつでも起こり得るものである、という感覚のあまりの欠落にいささか驚きを禁じえない。
アーレントによる「エルサレムのアイヒマン」で描かれているもの、『夜と霧』の問題点、「ヒトラー最期の12日間」、「ルワンダの涙」に登場する主人公の友人が
esによって描かれているもの。
小林信夫「抱擁家族」や 問題意識の欠落。
そういう知識や想像力を欠いた状態で、
特捜検察
<makamato budo>
特典があった方が良かったかも。宗教的モザイクの中にあったレバノンは、中東戦争に影響もあってキリスト教徒や
国民皆兵、容赦なく暴力の中に引きずり込まれていく。 なるほど、それを批判する人たちはまさに12歳の子供も同然だ。
amazonのレビュー
「チキンホーク」に繋がりうるサンプル集として非常に興味深い。思えば共和党、つまりタカ派的と思われていた人々でも、ノルマンディー上陸作戦を指揮したアイゼンハウアーは原爆に反対だったし、第二次世界大戦の自分の飛行機が撃墜される経験をした父ブッシュは湾岸戦争をためらったし、イラクを徹底的に することもなかった。またベトナム戦争で泥沼を経験し、 撤退戦を指揮したパウエルは。同じくベトナム戦争で拷問されて障害が残ったマケインたちもイラク攻撃に反対していた。ではイラク攻撃を行ったのは誰かと言うと、父ブッシュの影に隠れ、ベトナム戦争への従軍を州軍へ してもらうことで回避してきた子プッシュであった。
過激なことを言う連中ほど、銃後でのうのうとしている好例ではないか。ちなみに第二次世界大戦における彼らは、「国のために死ね」と言いつつ戦後は「アメリカさんありがとう」と手のひらを返したように言い始めたカメレオン野郎どもなのだが。
なるほど確かに、「戦場に行ったら結局やるしかない」と言う意見もあるだろう。ためらっていても意味がないから、戦場に適応しろ、と。ナチスドイツの蛮行とその実行者たちの凡庸さを鑑みれば、その指摘はある意味現実の一側面を言い得ていると思う。「フルメタルジャケット」、あるいは4月から日本で公開予定の「アクト・オブ・キリング」を見てみると。
君が望む永遠を想起。批判の貧しさも去ることながら、自分たちが置かれている前提への無意識がすさまじい。これはどちらかと言うと、終末の過ごし方とアルマゲドン的世界観。
説明不足?
戦車の中だけ、外はスコープ越しにしか見えないという視野の狭窄を演出し、かつまた外から戦車に入り込んできた人間に説明を求めても、拒絶される(教えない)描写が繰り返される。このことから、意図的な情報の遮断をしていることは明白。告発のときやredactedと同じで、極めて限定された、あるいは偏った視点でしか物事を見ることしかできないというリアルを表現している(この説明でよくわからんと言うのなら、例えばWW2に従軍していた日本兵たちは、ドイツとソ連が不可侵条約を結んだり戦争していただろうか?と考えてはどうだろうか?戦争に参加している人間たちがその全体的な見取り図を把握しているなどという発想自体が極めて非現実的なのである)。にもかかわらずこれを話が見えないとか説明不足などと言うのは、演出意図を見る意思がそもそも欠落した白痴か、それともそもそも作品は状況を徹底的に説明するものであると思い込んでいるかのどちらかであろう(そう言えば「三丁目の夕日」を始めとして、アホかと思うくらい全部言葉に出して説明する作品が増えていることではある)。
そのことを自分自身である程度客体化していて、「演出意図は理解できるが、複雑な背景を匂わせるだけで終わるのは なので説明する特典(コメンタリー)が欲しかった」などと言うのならわかるが、全くのところ文句ばかりで考えようとしないのは驚くべきことだ。
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