寄る辺無き者たちの「自爆テロ」にどう対処するか:怒りによっては何も解決しない

2019-11-05 12:03:56 | 生活

 

 

さて、前回までは歴史や社会構造の話だったので、今回は少し方向性を変えた記事を。『AI原論』に絡めて、私は「バイオポリティクスと監視社会」で顔認証による中国の監視システムの広がりと、未だモラルやマナーに期待する日本の言説を対照的なものとして論じた。

 

しかし、賢明な読者諸兄はすでにお気づきのように、いくら監視システムを強化したところで、いわゆる「無敵の人」(もはや失うものはないと凶悪犯罪に走る人々)に対する抑止力とはならない。なぜなら、冒頭で掲載した川崎の事件が典型的だが、始めから死ぬつもりの人間にとって、それで自分の身元がバレるとか、後々逮捕されることに繋がるなどというのは、最早どうでもよいことだからだ。

 

要は、当時掲載した時にも書いたが、凶悪犯罪に対してただ厳罰化を訴える(時には拷問さえ肯定する)のが無効なのと同じで、その前に手を打たないと防ぎようがないという話である(まあ『銀と金』の「鏖」よろしく、外に出る時は身体を防刃ベストやヘルメットで守るのを日常としたいんであれば別だが。それでも首をやられたら終わりだけどね)。まあ社会的に包摂するシステムを作るか、あるいは認知科学の新知見を結集して怒りを無力化する薬でも作るか、あるいはロボトミー手術でも復活させるかと思い付きはするものの、薬ができたとしてどうやって服用させるか(そもそも「無敵の人」は社会的な縁が希薄であるケースが多い)、あるいは外科的にリスクを抑止する最終手段を用いたとして、その後のケアは誰がどうやってするのか、と問題は山積しているのである。

 

というわけで、我々はイギリスの「孤独担当相」を笑っている場合では全くないわな、と書きつつ以下は前に挙げた記事の覚書を掲載して終わりにしたい。

 

 

 

劇的に短くして、長文バージョンは後日掲載。

 

痛ましい事件が起きた。怒りもあるし、哀しみもある。しかし、ただそれを表明しているだけではこの先似たような事件は起こり続けるだろうし、これ悲劇自体間もなく風化してしまうだろう。

 

要するに対応策が必要だってことだが、今回の事件が改めて提起した事は様々ある。たとえば、GPSとかアラーム機能みたいなものは、無駄とまで言わないが通り魔的な犯行に対しては無力であること。また、犯罪防止を目的として中国のように顔認証システムを徹底し、監視社会化する方法を考えている人がいるかもしれない。しかし、今回のようにそもそも始めから「破滅上等」と思っている人間には大して効果がない(そもそもマイナンバー制度すら普及が遅れてるわけだから、実現はかなり困難で少なくとも長い時間がかかる)。

 

また、凶悪犯罪に絡めて死刑の是非も議論の俎上に上がることが多いが、死刑も同様の理由で効果なし。池田小の事件もそうだが、そもそも「死刑にしてくれ」と言ってる(もしくは始めから死ぬつもりでいる)人間に死刑は抑止力とならないのである。さらに、刑を厳罰化するとか、さらし者&拷問の後の極刑・・・とかまあ怒りにかられて色々な意見が出ることもあるが、今回のようにその場で自殺されたら全く意味をなさない。よってこれも解決策にならない。

 

「自殺してくれ」。そういう人もいるだろう。不全感から死ぬ人間たちは、これから経済と社会が凋落してくれば再び増えていくと考えるのが妥当だ。

抽象的な議論で危機感を煽るな?とんでもない。

就職氷河期世代。年金受給引き上げ。70歳になっても働かないと。

自己責任論で切り捨て、対応を怠ってきたことを自爆テロという形で されることは十分に想定される。こんな苦しいことが続くなら、早く死にたい。こんな状態になったのは何故だ?不況と既得権益を守ろうとした政府や企業のせい。ではそこに復讐してやろう。とかね(もちろん、彼らの名誉のために言っておくが、こういう人たちが犯罪予備軍などと言いたいのではない。今回の事件を特殊具体的な話として短絡的に終わらせるな、ということである)。

とするなら、そこから危機的状況や不全感の中で自殺する人間も増え、その一部が凶悪犯罪に走る、というわけだ。つまり、その言葉も対応策としては無意味。

 

居場所のなさ、不全感による社会への怨嗟とその爆発をどう防ぐか。ある人は、うさぎを飼わせたら?と言った。私はVR漬けを一案として考えている。

 

同情するか、しないか。どうでもいい。その事態を避けるためにどうリスクをコントールするか。ここが議論の出発点である。どれだけ怒って批判の言辞を積み重ねても、それが犯罪の抑止にならなければ無意味だし、どれだけ犯罪が起こる環境や人に憂慮して

 

人はしばしばこう考える。自己責任でそうなった人間にどうしてこちらが包摂の策を採らねばならないのか、と。しかし、貧困対策が単に思いやりのためではなく、治安悪化の防止でもあるのと同様に
、疎外され人間の包摂(のようなもの)は自衛の意味も強く含んでいるのだ。ありがちな「吊るせ!」も「自己責任だ。勝手に死ね!」も有効ではない。また思いやりで弱者を助けるみたいな発送では甘すぎるし人を動かせない。この手の議論を見てていつも不毛だと思っていたが、今回の事件は改めてそれを痛感させるものであるように思える。

 

それを理解して対処せねばこの問題は全く改善の方向には向かわないだろう。


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