墨家集団の動静:思想的背景、前漢における復活、近代的価値観からの再評価

2025-01-24 12:36:48 | 歴史系
 
 
 
 
諸子百家の中でも、墨家って大変興味深い思想集団の一つだよなあ。その思想の中では「非攻」や「兼愛」が特に有名だが、この辺は近代的価値観からしても注目されやすい要素だしね。また、戦国時代には大々的に活動していた集団が、秦の時代を経て突如歴史の表舞台から姿を消したという謎に満ちた最後もまた、ロマンをかき立てるところがある。
 
 
もっとも、この動画で言われているように秦の焚書坑儒と呼ばれる思想弾圧の中で抵抗・離散した可能性が高いとはいえ、それにより完全消滅した訳ではなく、古典的研究である福井重雅「前漢における墨家の再生-儒教の官学化についての一試論-」などが示すように、その後復活の兆しはあったのだけれども、武帝時代における儒教の官学化と、それに伴う五経博士による訓詁学=正当な解釈の整備、そして郷挙里選などによる官吏登用制度との結びつきなどにより、儒教を学ぶことが教養としても出世目的でも社会で必須事項となった。その結果として墨家は社会制度的に傍流の立場へと追いやられ、言わば「二度目の死を迎えることになった」と表現できるのではないだろうか(なお、この傾向は南朝における老荘思想の流行を挟みつつも、唐代での『五経正義』を通じてさらなる儒学の浸透とシステム化・硬直化を招来することになるが、その潮流が変わるのは異民族王朝への屈辱的和約を余儀なくされた南宋における朱子学の登場を待たねばならない)。
 
 
また、先ほど非攻や兼愛が近代的価値観において評価されやすいということを書き、動画でも清代において近代科学や近代的価値観の目から再評価されたことが触れられているが、この点については大いに留意が必要だろう。
 
 
というのも、墨家の思想というのは「反儒家」の側面が非常に強いからだ。春秋時代の分裂状況を収めるために、儒家は「仁」や「礼」をキー概念として提示した。それは仁が孝や悌など主に血縁を媒介とする紐帯、すなわち周の封建制を復活させることを目指しており、そして礼は儀礼を通じた上下関係の明確化(その逆が戦国時代に強くなる下剋上の風潮)を謳うものであった。
 
 
このような儒教の秩序再建の発想に、墨家は真っ向から対立したした訳だ。例えば血縁を重視する仁の発想はいかにも集団の対立を解消し秩序回復に寄与するように感じるかもしれないが、その実は血縁の内と外を分ける「偏愛」であって、結局自分の血縁者の敵は自分の敵となり大きな争いの思想的根拠・正当性を用意してしまい兼ねない以上、それは戦乱を助長・継続させる発想だと非難したわけである(現代日本は戦乱の世でこそないが、ウチとソトを分ける閉鎖的組織の不正・抑圧・隠蔽構造が次々と明るみに出ている状況から、孔子の言う忠や孝による「偏愛」が差別や争いの火種になる、という批判は十分説得力を持つのではないだろうか)。
 
 
そしてそれゆにえ、墨家は隣人愛的な意味で「兼愛」を説き、それこそが戦乱を集結させる基盤となるだろうと説いたのだ(ここで墨家の極めて興味深い点は、単に思想を提示しただけでなく、そこに「非攻」というスタンスも付け加えつつ、それを実践するための防衛技術を練り上げ、さらに技術集団を派遣することまでやっていたというアクティビスト的な側面を強く持っていた点だろう)。
 
 
ここまで聞けば、17世紀の三十年戦争における宗教戦争の惨禍とグロティウスらによる国際法制定の尽力、あるいは18世紀のフランス革命を経てヨーロッパに広がったナショナリズムとその弊害(この典型がナポレオン戦争とその被害)、あるいはカントの著した『永久平和のために』などが想起され、墨家の「非攻」・「兼愛」が19世紀において近代の目線で再評価された、ということの必然性が理解されるのではないだろうか(あるいはここで以前取り上げたマンハイムの『イデオロギーとユートピア』を想起するのも有意義だろう)。
 
 
とはいえ、これを元に「墨家=近代的発想法」と短絡させるのならそれは大いなる誤りだ。例えば、『論語』によると孔子は「怪力乱神を語らず」をそのスタンスとしたというが、反儒家で思想を構築した墨家においては、むしろ「鬼」などについて積極的に語ることを良しとした。この点などは、近代の目線から見れば儒家の方が「近代的」ということになるだろう(ちなみに儒家は前述のごとく中華全土へ広がっていった訳だが、不可視の領域については道教がカバーするという棲み分けになっていた)。
 
 
このように、一部の思想が自分たちと親和的に感じるからと言って、その全てを我々と類似の体系であるかのように錯覚するのは、ありがちな間違いである(これはカトリック教会を批判したマルティン・ルターを、あたかも中世的世界全体の変革を目指した人間とみなすような錯誤と似ている)。その典型は「万物の根源は原子」とみなして不可視の世界は存在しない、と考えたデモクリトス及びその評価がわかりやすいだろう。これを受け継いだのは同じく不可視の世界は存在しない=死後の世界は存在しない=この世界を良く生きること(だけ)を考えよう=アタラクシア(魂の平静)という発想を土台としたエピクロス、あるいはその思想を発展させたルクレティウスをもって、近代科学の祖であるとか、近代的世界観の持ち主であるかのように考えるのは、端的に言って誤りである、ということだ(例えば彼らの中に細菌学のような思考カテゴリーはないし、酸素=燃える物質どころかフロギストンのような発想もない)。
 
 
逆に、唯物論を唱えたかのマルクスの学位論文はデモクリトス・エピクロス関連であるとか、あるいは自由至上主義のハイエクの思想を研究するにあたり、バックボーンとして(社会契約などに対する)懐疑論の文脈でヒュームを参照するといったように、全く無関係に思える古典が、後に大きな影響力を持った思想の土台を形成することは少なくない。要するに、芳醇な思想やその影響を理解するには、単に現在を過去(の思想)に投影するのではなく、その文脈を理解することが必要不可欠だと言えるだろう(これは古典教育を有効なものにするための必須条件として、何度も指摘した通りである)。
 
 
実は高崎駅の件で触れた同級生の研究テーマが墨家だったので、思い出したように今回取り上げてみた次第(・∀・)
 
 
ではまた。

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