マスメディアの特権意識の由来:閉鎖性と下請け構造について

2023-11-11 16:21:25 | 生活

 

 

テレビを始めとするマスメディアに見られる非常識、正確にはそれを下支えする特権意識は一体何に由来するのか?と考えてみた時に、電波法や電波利権、クロスオーナーシップ制度、記者クラブ制度、再販制度etc...による優遇措置や「メディア村」的な閉鎖性東京五輪ジャニーズ問題でも見られた横並び意識を取り上げることは容易い(だからこの期に及んでも抜本的改革どころか、愚にもつかない内輪受けの行動を続けているのだろうし)。

 

また、個々人としては心ある人もいるだろうが、そもそも組織として巨大になり過ぎたため、別部署への忖度やそことの対立などによって、そもそもマスメディアの期待されているチェック機能が果せなくなっている点も大きいだろう(この点が戦前の日本軍とも類似することは何度も指摘している通りだ。なお、「第四の権力」という呼び名は、そも「体制への批判的存在」といった意味合いで使われていたのだが、今やまさに既得権益として、むしろ自分たちこそ権力側にいる存在となってその自己防衛に汲々としていることは、組織外の人間にとっては、誰の目にも明らかだろう)。

 

なるほど分析する側としてそういった要素は指摘できるし、それらが幾重にも重なっていることは理解できる(こういうのはどこの業界と限らず、内側にいると気付かないものなので)。しかしながら、どうにも私個人の「実感」として、ここまでのズレっぷりに到る必然性が今一つ腹落ちしない感覚を持っていた。

 

そんな折冒頭の動画を見て、(全てかは知らないが)テレビ局というものが、制作会社という下請けの元に成り立っており、ある種メーカーと下請け企業のような力関係と搾取構造で成り立っている状況の一端を知って、かなり合点がいった次第である(そう言えば「さっきーチャンネル」の動画主も、制作会社出身だったか)。

 

つまり、テレビという存在が特別扱いされてきたし、これからもされていくだろうという根拠のない幻想を抱いているだけでなく、そもそも日常的に責任や厳しい要求・条件を外注することで、言ってしまえば難局を引き受けないでいられるようなメンタリティが醸成されやすい環境になっている、ということだ。このように、内外で日常的に特権意識が形成されやすい環境であることを理解したところで、そりゃあ感覚がおかしくなるのは当たり前だわと思った(まあ逆に言えば、だから自分たちより発言力のあるスポンサーや強い芸能人にはへーこらするんだろうけど)。

 

おそらくこの構造は、早晩崩壊するということはない。しかし、

1:前述のように、図体が大きくなり過ぎてやれることは減ってきている組織に見切りをつける「できる人」が離反する

2:過酷な労働環境に飛び込もうとする人の数が減ることで、下請けを軸にする搾取構造が崩れていく

ことによって、中長期的に機能不全への陥るだろう。

 

1は、例えば優秀なプロデューサーがNetflixに移籍するといった件であるし、2は業界こそ違うが、アニメーターがその過酷な労働環境と制作会社の無茶な要求で崩壊に向かっており、それに耐えられる外国人へのアウトソーシング、あるいはより潤沢に給与を出せる海外企業が技術力のある日本のアニメーターを雇うことで、技術流出が進んでいっていることなどを想起したい(ちなみに言っておけば、優秀な作品を書けるからと言って、日本企業に属さなければならないという理由はない。つまり日本作品スゲー!とか喜んでいるのは結構だが、それがいつまで続くかは別問題だし、またその成功が日本経済にどれだけ資するものとなるかは不透明なのである)。

 

このようにして、可処分時間を巡って競争はどんどん激化する中、両翼をもがれた日本のマスメディアはさらに発信力を失っていき、そうして資金力の無くなった彼らはますますスポンサーに頼らざるをえなくなった結果さらにズブズブの関係となって批判力も失っていき、その衰退を加速度的に早めていくだろう。

 

まあとはいえ、そこへメスを入れられるような(自浄作用のある)状態ではもはやないので、せいぜい派手にのたうち回る様を見物させてもらうことにしませう。

 

ハハッ(・∀・)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生者は嘘をつくが、死者は嘘... | トップ | いきなり11月の気温になるの »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

生活」カテゴリの最新記事