なるほど、甲子園で活躍した生徒は、身体が酷使された結果故障しやすかったり、あるいらすでに伸び代がなくなっていることが過去のドラフト選手のプロ野球における業績不振から読み取れるため、大谷翔平のように、むしろそうやって「使い倒されていない」原石をどうやって見つけ出すかが重要だと認識されるようになってるんやな・・・
「高校野球の強豪校からプロで活躍できる選手がちっとも出なくなった『納得の理由』」という記事を読んでみて、大変興味深かった。
自分は前に「今そこにある地獄甲子園」という記事を書いたことがあるが、甲子園におけるエース選手の酷使についてはよく知られたことである。
その結果として選手がその後野球で活躍するのが難しくなったり、プロ野球の世界から敬遠されるようになっているのだとしたら、甲子園とは、一体誰が、誰のためにやっているんだろうか?という疑問を強く感じる。
もちろん、スポーツに怪我は付き物だし、また甲子園で活躍→プロで活躍というルートが絶対善と言うつもりはないが、その運営形態や指導方法が選手ファースト(選手のことを尊重するもの)になっているのだろうか?
新聞社が始めたショービジネスというのもそうたが(プロでないためカネの匂いを感じさせにくい)、真夏・酷暑の大阪で実施すること、あるいは指導者たちの旧態依然とした指導方法と、問題点や吟味すべき点は様々あるはずだ。
少なくとも、「過酷さを感動ポルノ的に消費することで共犯者となる愚」だけは避けたいものである。
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