フラグメント21:過程の不在、願望と自己規定、宗教ハ風景ニ非ズ

2008-01-07 10:25:32 | フラグメント
<過程不在のゲームは基本的にゴミカス(※)> 
kanonと君望の対照性、最初は[自分が]リアリズムを求めているのかな?と思ったが違った。過程、つまり文脈や特殊具体性のないものに価値を見いださないということ(過程の重視、具体性、説明不足との兼ね合い、カラマーゾフ)。「全ての人間に生きる意味がある」と思ってなくてもいえる。何の意味がある?聞こえのいい抽象論に過ぎない(なぜ全てと言えるのか、意味って何?、実は単なる願望)。だから、とにかくハッピーエンドならいい(結果のみ、終わりよければ全てよし?)という姿勢には「じゃあ[時計仕掛けのオレンジの]アレックスで」となる。願望自体を悪と言うつもりは全く無いが、そう思う自分をまず解体したほうがいい(雫と痕)。


かなりキツイ言葉なため、まとめた記事の方では表現を変えている。ところで、「基本的に」とあるようにこの基準は全ての作品に適応できるわけではない。例えば、過程の不在はギャグとしてならむしろ常套手段だし、そうではないにしても君が望む永遠第二章の冒頭のようにプレイヤーを引き付ける有効な演出ともなりうる。要するに、手法の問題と言える。


<「匂いのエロティシズム」>
空の自己・レセプター…簡潔に言えば「汝自身を知れ」→この言葉は危ない。なぜなら、自分はどんな人間だろう?という問い掛けから始めるのは危険だから。特徴を上げて、血液型判断などに当てはめて終わり(※2)。だから、あるものに対する一見不可解な反作用、つまり具体を積み重ねていくのが大事。この際、自分が普通ないし「まとも」という認識は取っ払う、ないし脇に置いておくことが重要だ(自分に期待するな)。ねえ、自分の痛みの原因がわからずに、その痛みを取り除くことはできるのかな?ぺんてる、大増便[なぜか記憶に残っている映像・フレーズ]

※2
自己を規定しようという明確な意思に基づいてそれを行っても、自分の願望や思い込みをトレースするだけに終わる可能性が高い。しかしながら、不快感といった生理的・根源的なものを考察の要素に入れればそれを多少なりとも防ぎうるし、かえって願望や思い込みを対象化することが可能になるだろう。


<宗教ハ風景ニ非ズ>
小学五年生の時?信長が天国!?うそーん!?……なぜそう思うのか?様々な理由はあるが、「あれだけ人を殺した奴が天国に行くのが理解できない」。では人を殺すことは絶対的に悪なのか?なぜ人を殺してはいけないのか?人が自分達の基準を神に押しつけてるだけではないか?→社会契約、神が嘲笑している可能性、意識しなかったが、これは「信仰と理性」の問題にも繋がる、こういう問い掛けを繰り返してると、社会は再構築・相対化されていく(※3)。[中学時代の]「エロがなぜいかんの?」という問い掛けはそんな状態で起こる。いかにももっともらしいが、本当にそうか?

※3
まとめた記事では、天国へ行く基準はそもそも自分達が妥当と思うようなものか?と書いた。一般的な認識では、「『いい人』が行くところ」という非常にファジーな基準が行き渡っているように思える。しかしそれは正しいのだろうか?
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