いくら顔が好みだからと言って、独り言ダダ洩れのストーカーと付き合うのは死亡遊戯すぎるやろ・・・と思ったらまさかの展開に(・∀・)こげな飛躍を見せられたら、妄想力の化身たる我がその行間を埋めずにいられようか、いやいられない😆
これを起承転結に落とし込むと、
起=ストーカーされているという友人からの告白
承=顔は好みという友人に、危険要素満載のため禁断の果実だと止める主人公
転=ストーカーと付き合うことになったという告白+実は男の娘だったという衝撃の事実の開陳
結=アメリカで結婚することになった
とまあ見事に構築された展開でよく練り込まれているなあと思うが、転と結の間の飛躍をどのように考えればよいだろうか?
なるほど確かに、主人公はストーカーが滅茶苦茶タイプだと発言しており、ストーカーの相談をするくらい疲弊してもなおそう言うってことは相当である。このことからすれば、「実は男だった(Indeed, she has a dick!)」という真相にもかかわらず好意が覚めなかったのは、「文明はシーメールから始まる」と主張する私にとって驚くべきことではない(まあこの場合は「どっちでもいいや」かなw)。
しかしながら、ストーキングや独り言といった主人公の指摘する危険性についてはどうだろうか?たとえビジュアルの好感度が性別を乗り越えたとしても、メンタル面の偏りや凶暴さは友人を疲弊・倦怠に追い込み、別離の欲望を惹起しても驚くべきことではない。
・・・とここまで考えた時に、ストーカーがバキバキにメイクや服装をキメている=自分を擬装していることが思い出される。すなわちこれは理想的なものへの憧れの強さ(+承認欲求)を示すとともに、自分への自信のなさの裏返しとみなすことができるが、そういう心持ちの人が、関係性を持った時にパッドや性別といった「自身の真の姿」を曝け出した時に、それを相手が拒絶するどころか、むしろ結婚するところまで受け入れたことを想起したい。
つまり相手への好意の強さにもかかわらず、自分への自信のなさ(拒絶の恐れ)からストーキング・独り言といった行為に及んでいたものと想像されるが、それが好意を持った相手からの承認・受容によって一気に解消(でなくても寛解)の方向へ向かったと考えることができるのではないだろうか(いわゆるメンヘラの症状が落ち着く典型パターンの一つでもある。まあ蛙化現象が起こらなくてよかったね、というとろこかしらん)。
というわけで、今回のアネクドートに見られる飛躍は、いわば自己肯定感の欠落という前提と、それを埋め合わせてくれる他者からの承認という行間によって、説明可能と考えられるのである。
ま、そんなことまで考えてねーわ🤣ていう話ではありますが、話の作りの上手さと、そこに見られる飛躍をあれこれ考えてみると実は結構深面白かった(そんな日本語ない)んで、ちょっと紹介してみた次第。
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