Vtuberのかなえ先生と紫藤ナナによるメンヘラ解説講座を紹介したい。かなえ先生は犯罪学を専門にしつつ、自身もメンヘラ彼女に2度刺されたという輝かしい(?)経歴の持ち主で、紫藤ナナはメンヘラ専門家、というかプロメンヘラ(笑)である。
にしても、これほど簡潔明瞭なメンヘラ解説がかつてあっただろうか(キャラクター化するのに成功した、という意味では傑作Needy girl overdoseが挙げられるが)。単に行動や発言のような目を引く現象を説明するのではなく、「自己肯定感の極端な低さに由来する」「すぐに肯定感や承認がリセットされる」という心理的構造を提示した点がすばらしい。解決策もいたずらに根拠のない希望を話すのではなく、あくまで根治はせず、理解ある人が周囲にいる事(環境要因の変化)による寛解があるだけと述べている点も重要である(まあ今後治療法とかが出てくれば話は別だが)。
特に白眉だったのは、「私のこと好き?」という問いが子供の「ねーねーママママ」と同じという部分。こういう繰り返される問いには論理性からすれば煩わしさしかないのだが、しかし先に述べた自己肯定感の低さに由来する(論理を超えた)根源的不安の発露という意味でライナスの毛布と同じだし、もはや毛繕い的コミュニケーションの一環なんだなと理解した。
この知見から、対処としては説明ではなく、行動で示す・行動で変化を起こすのが大事ということもわかったが、こういった学びはとても重要で、例えばADHDやASDなどについても、「悪気なくそうなってしまう傾向性」を知っているか否かでかなりこちらの対応・反応も違ったものになる(精神力の問題ではそもそもないため、余計なストレスは多少緩和される)。その意味でも具体的に活かせる有益な対談だと言えるだろう。
なお、今回の対談に沿って、これまでの自身の過去記事を参照しつつ南条あや、菜摘ひかるなどを取り上げようと思っていた。さらにケーススタディとして二村ヒトシや中村敦彦とつなげたり、あるいは女性側の客体化した視点として峰なゆかや鈴木涼美なども触れようと思ったが、あまりに紫藤ナナの説明が優れていて、屋上屋を重ねるだけになると思ったのでここで止めますよと。
なお、要点は冒頭の切り抜きで説明されているが、一応フルの動画も以下に挙げておく。
【原文】
非常に簡潔明瞭でわかりやすい。要するに前提が他人と違うのであり、そこからの道筋は極めて論理的。自己肯定感の低さが根源にあり、そこから世界解釈が成り立っている。
逆を考えればわかりやすいが、その反対は「自己愛性パーソナリティ」。自分が間違っている訳ないと都合よく解釈。だから嗜める発言に対しては、仮にその人のために言ったのだとしても「敵意」として解釈される。その結果イエスマンだけが周りに残り、裸の王様化する。
サイコパスっぽく言えば、『銀と金』の平井銀二のように「その人たちの理解してほしいように理解してあげればよいのです」みたいな理解をする人間もいそう。ただ、自己の利益のために相手をコントロールするのでなければ、寄り添い方の知識が必要だし、その上で根気よく寄り添うことも必要
メンヘラの前提にあるのは根元的な不安だから、そこのスイッチが入ってしまったら論理では無理というのが大変。てかそもそも、割と「論理的である」ことを過大評価してる人間が世の中多くない(「理性への懐疑的態度」)?そもそも完全情報にはアクセスできないんだし、「論理的」に考えているようで実は都合のよい情報しか見ていない・見えていない、なんてことはよくある話。差し引いて考える必要がある。
ともあれ、「メンヘラは肉体関係でとりあえずその場は落ち着く」みたいな話は、その精神構造を知らないとアホみたいに思えるかもしれないが、考えてみれば「おそ松さん:DT松の謎」で書いたみたいに、むしろ承認欲求と性欲が渾然一体となっちまって、「お前は抜きてえのか承認されてえのかどっちなんだ」となる以前のレベルで止まっているような事例もある。そこからすると、メンヘラの行動原理はその発露の仕方が極端であるというだけで、むしろ根源的かつ広範に見られる問題と言えるのかもしれない。
なお、「根拠をもって説明できる」ということと、「それで人が正しく納得する事」は全く別の話(今書いてる、日本の未来の話)。
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