朝もやの中を車で走り、早朝の五箇山に到着。
静謐な雰囲気の中を一人歩く。
地主神社!?随分独特な名前だな。五箇山というと真宗篤信地帯で、かつそこで産出される硝酸が火薬の原料となって一向宗の対信長戦を支えた・・・といった話は有名だが、神社についてはノーマークだったのう。これは機会がある時に詳しく調べてみたいもんだ。
一通り歩き回ったところで、自分の中で思い出されたのは映画「砂の器」だった。
親子が旅発つシーンのロケ地となったのが五箇山で、その後に親子は各地を行脚することになるため映画に登場するのは短時間なのだが、それでも非日常的空間としてインパクトを残すには十分なものであった。
さて、その親子が故郷を追われることになった理由はハンセン氏病である。ハンセン氏病は長い間不治の病・遺伝病と認識され、かつ治療薬が開発された後も日本政府が隔離政策を取ったことで差別が温存されることになってしまった(その意味で言えば、映画の描写は額面通りに取るなら不正確なものであり、実際には強制的隔離と断種などの措置が取られたのである)。国家が新たな法律を施行し、それまでの政策を謝罪したのは今からたったの10年前、すなわち2009年のことであった(旅行当時は2016年という意味では、7年前というのが正確だが)。
私は母親が医療従事者だったこともあり、ハンセン氏病の話は小さい頃からよく聞いていたし、そもそも砂の器を見たのもその影響である。その他、本妙寺や恵楓園などハンセン氏病に関わる場所が比較的身近に存在していたこともあって、ハンセン氏病やその差別の歴史は幼い頃から私にとってよく知った話の一つであったのだ。
これに関し、あえて(当時が2016年という)時間軸を無視して書くのなら、ハンセン氏病の歴史を知ると、コロナ禍における諸々の問題はかつて生じていた社会的病理の多くが、今もなお残存していることを痛感せずにはおかない。とりわけ、地方におけるコロナ罹患者に対する差別的扱いなどは、まさしく「穢れ」に対するそれと同じであって、「どのような感染経路であるか」や「感染はどのように広がるか」などの科学的合理性は二の次であったりする(もちろんそこには、ただ何人感染しただのを報じるだけのメディアのあり方なども大いに影響していることは付言しておくが)。
その現実を踏まえるならば、ハンセン氏病の差別で見られたような精神性は、時代が変わっても同じように残存していると言わざるをえないし、まただからこそ歴史を知ることが重要だ、とつくづく思うのである。
最後に五箇山の由来に関する立て札を読んで、次なる目標に向かってこの場を発つことにした。
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