フラグメント136:表現規制、ロボ子

2012-06-06 18:35:15 | フラグメント

〈表現規制〉
またですか。また「とりあえず危なそうなのを取り締まっておこう」だ。だから内容はひどく曖昧だ。そうなると、解釈次第でいくらでも広範囲に適用可能。何となく危ないものだから封じ込めたがいいとか安易に決め付ける前に、どこまでが「危険」なのかが恣意的に決められるといったリスクの予想をすべき。いやさらにおそるべきは、そんな曖昧さに対して非難を向けるよりはむしろ、先回りして表現を自主規制していく(空気を読む)という一種の共犯関係が成立していることだ。この前近代的なスパイラルを変えねば、~。

 

カラオケ
ゾエさんや祐也など歌のうまい人には何人も出会ってきたが、それとは本質的に違う。彼らの歌が人のものをうまく歌う、のであるのに対し、植木のそれはどこまでも自分の歌である。だから、一度聞いた曲でも新しい発見があるし、それを聞いた後で原曲に触れるとむしろ違和感があるのだ。うまい歌はいくらでも聞くことができる。しかし彼の歌は彼からしか聞くことができない。だから金を払ってでも聞きたいと思う。オリジナリティというかアウラとは、たぶんこういうものを指すのだろう。

 

ロボ子
のび太の顔がもうね。笑えるけど嗤えない。そうプログラミングされているからそうするだけだと満足できないのでは?という気もするが、複雑怪奇な他者・「内面」より予定調和でも「表層」の~を求める人が増えてくればあるいは。キャラ的人間関係。全面化はしないのでは?という疑問。では予定調和から外れる反応さえも予定調和として組み込む→「マトリックス」の構造。「沙耶の唄」。そもそも購入できるのか、ずっと使い続けられるかという所得の問題は確かにある。しかし逆に言えば、それだけの問題でしかなくなった時に、果たしてどうなるか、だ。アトム化、承認の希求、孤独死。グローバル化自体を止めるのは無理。便利さを手放せない。もやしもんの農薬話。生活スタイルの確立。それを前提にした上で、制度設計的にいくしかないわな。ドラ7のエピ。「純愛という名の

 

〈攻める内部充実〉
ラーションアマゾン受け取り。君望→?→写真→デスノ?→至極のビブリオ、ご飯の友編、目の手術。接吻…沈黙が拒絶、言葉が親近感だとすれば、最後のほっといてや私を理解しようと思うなは拒絶を意味しない。

 

〈無題〉
笑い草稿→君望草稿→トルコ写真→東北写真(データ)→ひぐらし→仕事あれやこれや→デスノ→告発の~→接吻

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