ここはど~この細道じゃ~天神サマの細道じゃ~・・・という歌が聞こえてきそうな参道やね。
さて、高野山(金剛峯寺)は真言宗の総本山であることは言うまでもないが、そこに稲荷神社が存在し、かつそれが真言宗とも深い関わりの中で成立したあたりは、いわゆる神仏習合の典型とされる。
とはいえ、前にも書いたように日本が仏教を導入するにあたって物部氏と蘇我氏の対立したことは有名だし、いわゆる神宮寺が成立して本地垂迹説が確立するには、仏教導入からおよそ400年ほどの時間を要した。
その意味では、日本社会について「いかなる宗教も取り込んでしまう多神教の空間」という結論から始めるのは、いささか危険な偏りを生んでしまうように思える(それは「時間に厳しい日本人」の像を、近代化や戦時下の仕組み・風潮といった歴史性=変化の過程を無視して超歴史的に過去へ投影するのに似ている)。
まして、そのような傾向を日本に特異なものとみなすのは全くの誤りである。例えばインドのヒンドゥー教が諸宗教の要素を取り込みながら成長していき、それが仏教など他宗教の伸長を抑制する一要因ともなった。
また以前旅行した韓国の写真でも紹介したように、8世紀に成立した仏国寺(慶州)にも、14世紀に成立した海東龍宮寺(海雲台)にも、その伽藍には仏像だけでなく龍や狐が同時に飾られているのである。ここからは韓国においても神仏習合的なシンクレティズムが存在していたとみなす事ができ、それが変化した要因の一つは、14世紀末始まった李氏朝鮮が朱子学を採用して仏教などの宗教弾圧を行ったことに求められるだろう(この点、キリスト教排除の必要性から、仏教を半ば国教化する仕組み=宗門人別改帳を江戸時代に導入した日本との違いにも注意を喚起したい)。
いわゆる比較宗教学と呼ばれるものは、自己だけを見つめると陥りがちなドグマから解放してくれる点がその大きな効用の一つと言えるのではないだろうか。
とか何とか思いながら、歴史の風雪を耐え抜いてきた寺院を見て回る。
いはやは素晴らしい佇まいだ。
いよいよ金剛峯寺に到着。
というわけで、中を見学することにしていきませう(・∀・)
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