おお、これぞまさしく人類の叡智!
ここで説明されているのは「内面的快楽をどう可視化するか?」というart(技術)についてであり、叡智の表現技法としては永遠の課題の一つであり続けているように思われる。
その難しさは、例えば潮吹きやふたなり(女性のビジュアル+射精)などが一種熱烈な支持を得る背景ともリンクしていると考えられる(失禁や涎も類似の理由であろう)。というのもそれらは、無上の快楽を外形的に確認できるからこそ、そしてそれは行為の成功と相手の同意や陥落をも意味するからこそ、(特に男子諸君は)一種安心して「ノれる」演出であるために他ならない(実態としての潮吹きは快楽の度合いと必ずしも関連せず、あくまでパフォーマンスとしてわかりやすいだけ…というギャップも留意しておくべき点だろう)。
さりながら、そういった「放出のカタルシス」を土台とした表現ばかりでは、日々マスターピースが量産されている現在において早晩にマンネリズムの沼に陥ることは誰しも予想できることである。
かかるデッドエンドの中でmeisterたちが編み出した技が、その快楽の波に輪郭を与える、というものであった。すなわち、「ビク線」に始まり、「パチ線」、「引きつり線」と進化することで、よりビビッドにその迫真性を体感させるのである。これはいかにも小手先のことに思われるかもしれないが、例えばドラゴンボールのバトルシーンで集中線を含めたその目線誘導の巧みさが未だに鳥山明の天才性として語り継がれていたりもするから、世界へ没入させる手法としてこういったユニゾンしやすい身体の波長の表現は一般的に重要であるし、それが内奥の快楽においても有効であり、それが普及しつつあるのが新しい現象とみるのが適切であるように思われる。
なお、今回の講義により、「パチ線」を多用し「力みなくして解放のカタルシスなし」と喝破するグラップラー刃牙はやはり春画だという気付きを得たので、今後この発見を広めてイキたい所存である(・∀・)
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