共通テスト社会の傾向:「情報のフォアグラ」は不要だそうです

2023-01-18 17:17:17 | 感想など

 

 

 

 

共通テストが終わって数日経ったが、社会においては世界史の資料読み取り問題が増え、日本史や地理と足並みが揃ってきたという印象だ(まあ近々「歴史総合」なるものが入試でも始まるらしいし、去年は日本史の平均点が過去最低だったのもあるんでそりゃ変えてくるわなって話か)。まあ動画でも指摘されているように形式が大きく変わったことにより制限時間内での妥当な分量を模索することは必要そうだが、社会科としての方向性は概ね固まったと言えるように思う。

 

「社会」という科目は学校で習うものの中でも暗記という要素が強いものであった(まあ地理は元から比較的そうでもなかったが)。確かに覚えていないと話にならないのは事実だし、また論述問題とかにした途端にえらい点数が下がるし採点も面倒という調整の難しさから(まあだから年代整序って形式が導入されたりするわけだが)、どうしても教科書の太字を一問一答的に聞くものが多くなる。で、『人間の建設』で述べたような日本社会の教育の構造上、そこに適応すると知識詰め込みマンになるのはある種必然だったと言える(歴史好きの場合でも、歴史小説とか歴史ゲームで有名人物の名前とか逸話は覚えていても、その時代の社会構造や他の時代や他国との比較対照まで意識している人は少ないのではないか→呉座勇一『戦国武将、虚像と実像』)。

 

とまあそういう状況を踏まえて、日本の学校の構造的に附属校以外は受験へ向けた勉強というベクトルを急激に変えるのは難しいから、試験そのものを変えたろと知識重視から知識の使い方=分析力・思考力重視の形式に変わったのが共通テストってことやね(まあ現実性を顧みずこれをやろうとして混乱→中止となったのが国語の記述問題なんで、上手くいかなかった試みも色々あるが)。まあこれ試行調査の頃から言われていてあれやこれやと疑問視・批判もあったが、苦労しながらもよく形にしたなあというのが個人的な感想である(語句をただ問う問題に比べると、難易度調整含め作るのがクッソ大変だろうってのはわかるので)。

 

で、これを前に書いた「ファスト教養」「ファスト映画」の話に絡めると、要するに「情報のフォアグラ」はいらん、てことやんな。目の前の字面を機械的に処理するんじゃなく、「必要な情報を取りに行く」・「クロスチェックする」というような、言わば適切な確認行動を取る・鵜呑みにしない・突き合わせて吟味する・情報を統合して蓋然性の高い結論を出す、といった力を求めているということだ(この逆の事例は、Vtuberグループ「ブイアパ」の解散という告知に対するデマとして先日取り上げた)。知識をただ詰め込んだだけの状態はただ石ころが詰まった袋と同じなんで(ただし何気に殺傷能力だけは高い😅)、AI様が描いた「ステゴロラーメン」と大して変わんねーぞ、というワケやな(・∀・)

 

まあワイはAI(含む情報技術)の「進化」と共に人間の「劣化」が並行して進むと考えているので、いずれbot的に「お前もAIになれ!」「俺はAIだがお前もAIか?」とずんだもんボイスでやり取りしあう人間たちが跋扈する社会になるかもしれず、共通テスト社会はそんな趨勢に一石を投じるやもしれない(大げさ)と述べつつ、この稿を終えたい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 目が死んでいる時に無理なく... | トップ | マンハイムの毒書会に向けて... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

感想など」カテゴリの最新記事