今から20年ほど前、同朋タキカラヤンが邸宅で中華書局の『三国志』校訂本を読みながら、こんな発言をした記憶がある。
「いやー、陳寿の諸葛亮評をディスだと非難するのはあんまりでしょ。むしろこれはその身を蜀に捧げながら、しかし北伐という大義を成し遂げることのできなかった先人への哀惜と痛恨の念の吐露と見るべきじゃん。実際諸葛亮は北伐には失敗してるわけで、有能な政治家ではあっても、有能な軍人とは言いがたいと思うし。」
はい、この動画を見て前言撤回させていただきます。諸葛亮閣下にはジャンピング土下座からの三跪九叩頭(時代がおかしい)にて謝罪させていただきたい所存。
そも、「三国志」という名前自体がミスリーディングで、蜀の国力を思えば2.5国志と呼んでも差し支えないとさえ私は思っているが、逆に言えばその蜀が夷陵であれだけの大敗を喫しながら、崩壊するどころか五年で建て直しを成功させたことは魏や呉がそれをやるより圧倒的離れ業であったし、どころかその後の北伐にしても、単に大義名分のための(つまり無理矢理感満載な)軍事行動ではなく、きちんと中長期的な成功を見据えた戦略が背景にあったと考えられるというのは、明らかに諸葛亮が政治家としてだけでなく、軍人としても有能であったことを示している(とはいえ、魏と蜀の国力差を思えば、この成功で三国時代が多少長引くことはあったとしても、蜀が魏を併吞する事態はなかっただろうと私は考える。これは先の日米間の戦争と似ている)。
そのようなパラダイムシフトを二十年ごしでさせてくれたこの動画に感謝しつつ、後編を楽しみに待つことにしたい。
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