足尾銅山については、鉱毒事件という近代化・富国強兵の暗部として教わることが多い(少なくとも私はそのようにしか教わらなかった)。以前佐野を訪れた時に墓を紹介した田中正造は、そこでクローズアップされる代表的存在と言えるだろう。
しかし、足尾銅山やそれを運営する企業が実際どの程度産業に大きく貢献したか、あるいは公害に対しどういった取り組みを行ってきたかは、等閑視されがちである。
そして、そのような偏った教育は、極めて問題が多い。というのも、公害の頻発や犯罪率の高さを無視して「三丁目の夕陽」的な昭和30年代を理想化するのが愚昧の極みなのと同じで、我々が各種工業製品や医療技術(ペニシリンはその代表)、あるいは化学肥料(ハーバー・ボッシュ法)といった、近代に産み出された諸々の精華を正しく理解することなしにそれを批判ばかりすることもまた、愚の骨頂だからである。
そしてそういったバイアスからは、例えばSDGsという名のスローガンをただ盲信して結局社会を混乱させるような言行が産み出されていくのである。
功罪両面に向き合い、それらの背景をよく理解した上で、状況の変化した現在において「罪」をどう緩和し、また「功」を拡張するかという苦闘を引き受ける覚悟を身につける・身につけさせるような苦闘(永遠の微調整)によってしか、社会を漸進させていく方法はないのだと、冒頭の動画群を見て再認識した次第である。
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