草津温泉街から車を走らせること10分ほどで重監房博物館に到着。
ハンセン氏病患者の施設「栗生楽泉園」に併設されているが、こちらの役割は「反抗的」な患者や改善運動に参加した患者などを文字通り監禁した施設である(なお、ハンセン氏病患者隔離の背景や特別法廷と呼ばれるものの問題点については次回の記事で触れる予定)。
HPには事前に電話連絡をとあるが、そちらは不要らしい。なお、清瀬にある国立ハンセン病資料館と同じく、入館は無料。受付で来訪の経緯などを入力し、スタッフに連れられて奥に進む。
まずはハンセン氏病の歴史に関する20分強の動画を視聴。施設の目的が正しい知識の周知と啓蒙であるため、まあこの行程はある意味当然というところか。
次に重監房の復元模型部分に進み、10分弱の映像を視聴。
重監房の入口の厳重さとともに、日差しもほとんど差し込まず、夏は暑くて冬は寒く、虫に悩まされるといった環境面の過酷さが語られる。この辺りはもちろん色々な切り口で説明できるだろうが、冬に死亡した際、死体が布団とともに凍り付いていて、床から剥すことができない、というものが最もわかりやすいだろうか。
え、「床から剥す」ってどういうことだ?と思われるかもしれないが、死体を直接触りたくない人たちは、死体を布団にくるんだまま持っていこうとするのだが(写真の場面)、その時に布団が凍り付いて床から剥がれず、何とか複数人で作業してようやく剥がれた、という次第だ。環境の過酷さが理解されるとともに、死してなおまともに人間扱いされない悲惨な状況が伺えるというものである。
重監房は南京錠で幾重にも施錠された状態になっていた。
昔家に設けられていた精神病患者の隔離小屋を彷彿とさせる(まあそちらの場合は奥まった格子部屋に押し込むという感じであったが)。
こうして周囲が白一色だと、なおのこと非人間的というか、率直に言って明確な「死」のイメージが連想される。実際、出所後の体調悪化も含めれば収監者93名のうち22名が亡くなっており、その死亡率は20%を超えるという過酷さだった。
アウシュビッツほどではないにしても、優生思想を元に精神病患者を次々と葬り去ったナチスと類似のマインドがこの施設からはひしひしと感じられるのは私だけだろうか。
あるいはナチスは絶滅という積極性に基づいて行動していたのに対し、日本のそれは隔離・監禁という言わば無かったことにしたいという消極性に基づいていた。抹殺への強力な意思までは至らなかった一方、その消極性により自らの悪意に気付くのも遅れ、戦後も長らく差別の構造が残ったのは皮肉なことである。そしてその消極的な悪意を、例えば相模原障碍者施設殺傷事件などを見ることでようやく形あるものとして認識し、そのような意識の帰結に慄然とするのだ。
え、それももう昔のことじゃないかって?コロナ禍におけるマスク警察とかの件をもう忘れたのかい?あの時のファナティックな反応こそ、ハンセン氏病の隔離と差別に連なる思考態度の最たるものの一つじゃないかと思うけどな。少なくとも、俺はあれを見て「あ~、根本は何も変わってねえんだな」と確信したぐらいですよ。
・・・とまあそんなことを考えながら、監獄の外に出る。
そこから周囲の展示を見始めるが、まず目に入ったのは収監された人々の来歴である(一部伏字の状態で名前や来歴、死亡した場合は死因が列記されているが、当然ここでは掲載しない)。
カンボジアの虐殺博物館もそうだが、一人一人の様子を示されると、やはり真に迫るものがある。数字ではなく、確かに一人一人がそこで生き、出れる日を切望しながら、ある者は命を絶ち、ある者はそのまま過酷な環境の中で命を落としたのだ。
そのことを胸に留めた上で、この先の展示を見ていくこととしたい。
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