「忍耐強い」という性質は、いかにも美徳のように語られる。
なるほど確かに、社会という大きなシステムが良い方向に向かっているか、少なくとも問題なく回っているのであればそれは間違いとは言えない。
しかしながら、すでに社会が機能不全に陥ろうとしている時に、忍耐強さはかえって問題が表面化するのを妨げたり、あるいはシステム変革の足かせとなったりするのである(このような時は、むしろ「いかに楽をするか」、「自己の不快感を解消するためにどう社会を変えるか」というマインドの方が事態を改善に向わせることさえありうる)。
要するに、それは状況次第で毒にも薬にもなりうるのであって、その一面だけ見て称揚するのも非難するのもおかしなことだし、ましてやそれを変更不可能な「国民性」などと見なしてあたかもアイデンティティのごとくしがみつくならば、その先に待っているのは奈落以外の何物でもないだろう。
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