門をくぐると、そこにはまた別世界が広がっていた。
駐車場からしてどこか異様な雰囲気を漂わせていたが、その正体を頭が論理的に整理する前に、その境内の趣は一瞬自分をラストエンペラーか何かになったように錯覚させた(←大げさw)。
この異世界感は、そもそもイリンクスを好む(というかそのためにこそ旅をしている)私としては最も歓迎すべきものだが、一たび遭遇したらば、眩暈を余すところなく堪能するより先にその正体を論理的に理解しようとするのは、理屈っぽい人間の度し難い性というものか。
とはいえ・・・
森の中を延々と走り抜けたと思えば、その先には山と湖に囲まれた荒野を思わせる世界が広がっている。そしてそこを抜けると整然とした石畳・建築物の織り成す空間だが、然るに人工的世界が支配しているわけでもなく、少し視界を転じればそこにはまた広大なwilderness・・・
おそらくだが、この恐山霊場の「異様さ」とは自然の中にあって、しかし自然と一体化はしていないことだ。例えば出雲大社や伊勢神宮などは、樹齢数百年と思しき大樹が織りなす森林の直中に社が存在している。一方で恐山はと言うと、確かにその周りは山も湖もあり、山には木が生い茂り、今は実に紅葉が美しい。しかしそれにもかかわらず、この菩提寺や霊場については、ごつごつとした岩肌、荒野を思わせる世界で構成されており、それが周囲の豊かな自然と強烈なコントラストをなしている。そしてそのことが、此の地の異世界・彼岸の趣を強く印象付ける・・・ということではないだろうか。確か福島磐梯山にも「浄土平」なる場所があるが、そこの小富士はごつごつした岩肌がむき出しになっていたのではなかったか(恐山と同じで火山性ガスが結構出るところだったと記憶している)。あるいは自然(正確には木だが)の豊かな日本という地だからこそ、それが欠落した荒野、とりわけ広大な自然の中にあって特定の部分だけが自然を欠いている場合、それが異界の印象を人々に強く印象付けるのかもしれない。
・・・まあそんなことはすでに多くの人が言ってるだろうけどね(゚∀゚)アヒャてなことを一通り考えたところでさらに奥に進むことにしたのであった。
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