孤独死とその抑止に関する話:結婚はその防波堤にならず、むしろ技術で埋め合わせ可能なことについて

2024-12-07 16:33:41 | 生活

 

 

 

 

限界ニュータウンの絡みで町の高齢化や限界集落の動画を色々見ていたら、おもしろいのがあったので掲載しておきたい。田園調布の動画に関して思うのは、やっぱ比較考慮っていうのが正確な評価には必要不可欠ってことやね。

 

現在の特徴を形成する原因として取り上げられるものが、実は他の所にも同じように観察されたりするわけで、だとすればその原因は少なくとも思たる理由ではない、と考察できるとか何とか。

 

で、二つ目は集合住宅と独居老人のお話。この動画の最後の方には孤独死とそれを防ぐ見守りのシステムの話が出てくるけど、これが前から思っていた疑問と結びついたので取り上げてみた。

 

それは何かというと、「結婚をしない=孤独死」として、結婚をしないリスクを説く意見である。一応管見の限りで、結婚をしないことがそのまま100%孤独死に繫がる、と断言したような意見はさすがに見たことがない。しかし、こういう意見が、というかこういう意見しか非婚に対するリスクとして提示できない時点で、もうそのリスク提示に失敗している感じるからだ。

 

まず、孤独死を防ぐためには、日常生活をともにする存在がいるか、ごく身近に定期的に安否を気にする存在がいることが大前提である。これを元に、例えば、この反対として「結婚をする≠孤独死」という図式が成立するかを考えてみよう。すると、

1.生涯で見ると1/3は離婚する

2.死別の可能性もある

3.子どもと同居するケースも減っている

4.子どもと良好な関係を築いている必要がある(縁を切った毒親が死んだ連絡が突然来るケースを想起)

5.子どもとまめに連絡を取り合う状態を作っている必要あり

 

つまり、孤独死をしない要件を満たすには、

A:離婚をしない(2/3に入るべし)

B:自分より早く配偶者が死ぬ(男性はキツめ)

C:配偶者が死んだ場合でも子どもと同居している(現在は難度が上昇中)

D:子どもと良好な関係を維持している(子どもが引きこもりなどのケースも除外)

といった要件は最低限クリアしていることが必要ということになる・・・

 

とここまで書いたら頭痛がしてきたので、記事の意図を誤解されないよう先に述べておくと、これらの可能性を考慮した上で、「孤独死をしないために配偶者や子どもを作りたい」と考えている人間は、多分結婚に向いていないと思うので、他の方法を探すなりした方がよいと思う。というのも、結婚生活はゴールではなく、当然「永遠の微調整」が必要とされるため、リスクヘッジマインドに支配されて生きていれば、自身が精神的に疲弊するのはもちろん、それが周囲にも伝播して不幸をまき散らす可能性が高いからだ(毒親が「あなたのため」と言いながら、「良かれてと思って」、子どもの意見を無視してあれこれ押し付けるというありふれたパターンを想像してみるとよい)。

 

というのも、読めばわかる通り、そもそも今述べた話って、極めてエゴイスティックなんだよね(自分の孤独解消のために他者を利用するテイカーの思考)。とはいえまあ、結婚というシステムには大なり小なりエゴイスティックな側面が存在するわけで、それがスペックを可視化して常に選択の連続であるというマッチングアプリの導入によっていっそう露呈されたのが、現在の婚活市場なワケだけど(で、それがあまりに露骨であるがゆえに、食傷気味になっている人も少なくないと)。

 

閑話休題。ここまでお膳立てして初めて、「結婚=孤独死リスクがない」状態とほぼ等価になるわけだが、一体それは全体の何%いるんですかねえ?って話だ。ちなみにここで、「それはあまりに極端すぎる意見で、配偶者と死別したり、子どもと別居してたりしても、2~3日おきには連絡を取るっていうこともあるだろう」といった反論は当然出てくるだろう。しかし、死の場面は看取ることができず、結局数日単位のタイムラグが出るのだとしたら、それって「孤独死を防ぐ」という観点においては、動画で紹介されている見守りシステムと何が違うのだろうか?例えば部屋をセンサーで管理するというシステムと比べると、頻度の点で見れば、むしろ劣ってさえいるかもしれない。

 

以上要するに、結婚しないことを孤独死のリスクと結びつけたところで、遠い将来のことまで考えていない人には抽象的すぎるし、逆に考えている人にとっては反駁の余地がありすぎるんだよね。逆に言えば、非婚に対して孤独死を持ち出すことは、「その程度しかメリットがない」ことをかえって証明していることになりはしないか、というのが私が常々疑問に思っていたことである(で、そんなものは高齢化した集合住宅における見守りシステムのように、「技術の進展によって概ねクリアできてしまう」のだ)。

 

だから例えば、こういう感じの話ならまだ理解できるし、妥当性があると考える。

1.年々友だちは減っていく傾向にある(特に男性)

2.だから結婚をしないで高齢化すると、配偶者や子供がいないと会社からの停年もあって孤立化しやすい

3.その孤立化が身体や精神に不調をきたす原因ともなりやすい

4.だから仮に結婚しないなら、できれば複数のコミュニティで「居場所」を確保しておくことが特に大事

という感じで。

 

今述べたことのポイントは、「結婚へと誘導するインセンティブには必ずしもならない(手段のワンノブゼムでしかない)」ということであろう。しかし、こういう説明でないなら、端的に言って欺瞞であり(この表現で語弊があるなら都合の悪い点を隠蔽している)、いくらでも突っ込まれて終わりだろう。というか、そういう風な理由しかこしらえられない時点で、「結婚しなければならない理由ってその程度」と自分で証明しているのと同じだと気付いているのかな?と思う。

 

まあこうして話は『おひとりさまの老後』的なものになっていくわけだが、こういうのが社会の危機だとかあるいは感情的に不愉快だということであれば、その危機感や義侠心を元に、さっきのようなザル理論ではなく、もっと反論が難しいベネフィットの提示や、あるいは結婚する方向に向かいやすくするインセンティブを整備・発信することをすべきなんじゃないですかね?と思うわけである。

 

そしてさらに言えば、社会・人間を改変しようとする取り組みは、特に成熟社会という環境においては、時間がかかるものだ。このことは、独裁的な中国においてさえ出産や人口などのコントロールに苦慮している状況を見れば、民主国家での困難さについては、思い半ばに過ぎるというものだろう。

 

以上のような前提に立つと、繰り返し書いているAIの「進化」と人間の「劣化」のスピードに、そのような取り組みがついていけるとは全く思えない。実際、独居老人の見守りシステムの高度化は、すでに実現されており、超高齢化社会の到来に伴い、それがさらに広域化していくことだろう(もちろん、そのようなものを一種の「監視」として受け取り、そのような仕組みのない住居で生活することを選ぶのは個人の裁量の余地として残されるだろうが。とはいえ、賃貸ならそもそもリスクを考慮して貸してくれないケースが増えていけば、結局選択肢の少なさから「そういう場所」を選ばざるをえない時代が来るかもしれない)。

 

そして、孤独死以前の問題、すなわち独り身の生活で懸念される「孤独であることによる身体・精神上のリスク」については、激増する高齢者の数に対応する人手が足りないこともあり、「見守り・お話AI」的なもので代替されていく可能性が高い(AIでこそないが、例えば映画「ソイレントグリーン」でいまわの際に老人が見させられる極楽の映像を想起してみるのもよいだろう)。あるいはもしかすると、同じ話を何度聞かされても不愉快にも感じず「根気よく」反応し続けるAIの方が、人間より有難がられる時代すら来るかもしれない。

 

私はテクノユートピアのような発想には懐疑的だが、今の状況を見ている限り、このような方向に社会が向かっていくことは極めて難しいと考える。少なくとも、結婚しないリスクを孤独死と結びつける程度のロジックしか思いつかないのであれば、そんなもので非婚化の歯止めにはならないし、もって単身世帯はこれからもどんどん割合が増えていくだろうと思う次第である。

 

以上。


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