では、前回書いたとおり、この記事をもってうみねこの推理を一段落させることにしよう。
<死体を見せる不可解さ>
最初の事件を含め、密室にする必要があるとは思えない。しかも、一方で魔方陣を描いており、一体何をしたいのかわからない。正確に言えば、あくまで作品の演出としてなら理解できるが、手口としては不可解である。利子の回収(=魔女復活の儀式?)に「進行していることを意識させなければならない」という制約は存在しないため、知らないうちに人が減っていき、「そして誰もいなくなった」的な展開でもまるで問題はないはずなのだ。にもかかわらず、見せ付けるかのように儀式を進行させていくのは理解不能と言う他ない。
もちろん、これには即座に反論が出るだろう。つまり、「愛する二人を引き裂け」、及び「我が名を讃えよ」という一節(条件?)が碑文にあるため、全てを秘密裏に運んでしまっては、魔女復活の儀式が完成しないのではないか、と。杭を打つ部位へのこだわりも考えると、なるほど一理ある。しかしそれでも、遺産相続云々という状況であるため、六人がまとめて行方不明になれば彼らは勝手に疑心暗鬼になり、手を出さずとも分裂するのではないかと思われる。そうすると、「愛する二人」が引き裂かれる状況は自然と生まれるだろう(※)。「我が名を讃えよ」はもっと簡単で、例えば(ep1のように)人がいなくなった状態でポツンと手紙を置くだけでよい。少なくとも、わざわざ死体を見せ付ける意味はないのだ。単なる行方不明か何かだと考える人間がいて困るのなら、せいぜい森に探しに入った人間などを個別に殺していけばいい。要するに、(利子の回収における)二つの制約があろうとも、死体を見せずに儀式を進行させることは十分可能なのである。
※
例えば、最初の「生贄」としてジョージを殺せば絵羽夫妻は自然に浮く、といった具合である。まだ「生贄」の原理が明らかでないため断定はできないが、単なる偶然と考えにくいことはすでに指摘したとおりである。もし魔女が生贄を選ぶのなら、その中に特定の人物を加えるだけで、死体を見せずとも「愛する二人を引き裂」くことは容易なのである。
ところで、ep1/2からすると「愛する二人を引き裂け」というのは「愛し合う二人を周りから引き離せ」だと解釈されるが、これで正しいのだろうか?文面だけ見れば、愛する二人のどちらかを殺すだけでも「愛し合う二人を引き裂」くことになる気がするが…細かい話ではあるけれども、メタフィクション上(=バトラと魔女のやり取り)で言葉へのこだわりが見られるだけに、注意しておく必要がある。
<死体を見せる意味>
以上のように、犯行の手口という観点で考えると、死体をわざわざ見せ付けることにメリットがあるようには思えない。ひぐらしとの関連で、なぜ自分から「起」を見せる必要があるのか、と言ってもいいだろう(鉄平の死体隠し、地下祭具殿への監禁)。確かに、作品としてホラー表現という狙い(=演出的なもの)は理解できるが…
ではここで、死体を見せることそのものに意味があるのだ、と考えてみよう。それによってどんな効果が生まれたか。一つは慟哭と恐怖であり、もう一つは犯行の不可能性の提示(密室殺人)に他ならない。後者は、すぐにその不可能(密室殺人)を可能にする鍵を持つ使用人達への疑心暗鬼へと変わるであろう(「黄金の鍵」と[普通の]鍵のアナロジーを意識しているのだろう。一方魔女は、黄金の鍵でどんな扉も開けてしまう、というわけだ)。
要するに、死体と犯行現場を見せることで「悲しみ、恐怖、疑い」の三つを喚起したわけだが、これはどのような目的に基づいているのだろうか?一つとして、魔女の趣味というのが考えられる。身も蓋もないように聞こえるかもしれないが、ベルンカステルの助言(=魔女は必ずしも最善手を打たない)などからこの可能性も考慮する必要がある。もう一つは、以後の犯行を円滑に行うため。例えば、疑心暗鬼になった人間を個別に殺したり、手紙にある碑文の謎が犯人のミスリードと思わせたり(≒隠されてるものにこそ真実があると思わせる)、といった具合である(※2)。
※2
もちろん、碑文の謎に沿った殺しといういかにもなルールに注意を向けさせることで、そこに潜む別の意図、法則性(殺す順番など)を隠蔽している可能性は十分あるが。
<屋敷内に意識を向けさせるのが目的?>
もっとも、先ほど指摘したように、死体を見せずとも疑心暗鬼にさせることは十分可能である。そう考えてみると、魔女にとっては館の外に意識を向けられることが不都合なのかもしれない。もし死体が発見されなければ、ep2の最初の事件がそうであったように、教会(=普段は使われていないところ)などが探索される。そのうち、森に意識が向くのは必然だが、魔女はそれをこそ恐れているのかもしれない。そう考えると、台風という状況は偶然ではなく計算づくの可能性が高い。そして、金蔵を除けば島の構造に最も詳しいであろうクラウスが(2回とも)最初に殺されたのも納得がいく…と。
これが推理にどう絡むかは難しいところだが、魔女が屋敷の外に意識が向かないようにしている可能性は、一度よく考えてみる必要があるだろう。
<死体を見せる不可解さ>
最初の事件を含め、密室にする必要があるとは思えない。しかも、一方で魔方陣を描いており、一体何をしたいのかわからない。正確に言えば、あくまで作品の演出としてなら理解できるが、手口としては不可解である。利子の回収(=魔女復活の儀式?)に「進行していることを意識させなければならない」という制約は存在しないため、知らないうちに人が減っていき、「そして誰もいなくなった」的な展開でもまるで問題はないはずなのだ。にもかかわらず、見せ付けるかのように儀式を進行させていくのは理解不能と言う他ない。
もちろん、これには即座に反論が出るだろう。つまり、「愛する二人を引き裂け」、及び「我が名を讃えよ」という一節(条件?)が碑文にあるため、全てを秘密裏に運んでしまっては、魔女復活の儀式が完成しないのではないか、と。杭を打つ部位へのこだわりも考えると、なるほど一理ある。しかしそれでも、遺産相続云々という状況であるため、六人がまとめて行方不明になれば彼らは勝手に疑心暗鬼になり、手を出さずとも分裂するのではないかと思われる。そうすると、「愛する二人」が引き裂かれる状況は自然と生まれるだろう(※)。「我が名を讃えよ」はもっと簡単で、例えば(ep1のように)人がいなくなった状態でポツンと手紙を置くだけでよい。少なくとも、わざわざ死体を見せ付ける意味はないのだ。単なる行方不明か何かだと考える人間がいて困るのなら、せいぜい森に探しに入った人間などを個別に殺していけばいい。要するに、(利子の回収における)二つの制約があろうとも、死体を見せずに儀式を進行させることは十分可能なのである。
※
例えば、最初の「生贄」としてジョージを殺せば絵羽夫妻は自然に浮く、といった具合である。まだ「生贄」の原理が明らかでないため断定はできないが、単なる偶然と考えにくいことはすでに指摘したとおりである。もし魔女が生贄を選ぶのなら、その中に特定の人物を加えるだけで、死体を見せずとも「愛する二人を引き裂」くことは容易なのである。
ところで、ep1/2からすると「愛する二人を引き裂け」というのは「愛し合う二人を周りから引き離せ」だと解釈されるが、これで正しいのだろうか?文面だけ見れば、愛する二人のどちらかを殺すだけでも「愛し合う二人を引き裂」くことになる気がするが…細かい話ではあるけれども、メタフィクション上(=バトラと魔女のやり取り)で言葉へのこだわりが見られるだけに、注意しておく必要がある。
<死体を見せる意味>
以上のように、犯行の手口という観点で考えると、死体をわざわざ見せ付けることにメリットがあるようには思えない。ひぐらしとの関連で、なぜ自分から「起」を見せる必要があるのか、と言ってもいいだろう(鉄平の死体隠し、地下祭具殿への監禁)。確かに、作品としてホラー表現という狙い(=演出的なもの)は理解できるが…
ではここで、死体を見せることそのものに意味があるのだ、と考えてみよう。それによってどんな効果が生まれたか。一つは慟哭と恐怖であり、もう一つは犯行の不可能性の提示(密室殺人)に他ならない。後者は、すぐにその不可能(密室殺人)を可能にする鍵を持つ使用人達への疑心暗鬼へと変わるであろう(「黄金の鍵」と[普通の]鍵のアナロジーを意識しているのだろう。一方魔女は、黄金の鍵でどんな扉も開けてしまう、というわけだ)。
要するに、死体と犯行現場を見せることで「悲しみ、恐怖、疑い」の三つを喚起したわけだが、これはどのような目的に基づいているのだろうか?一つとして、魔女の趣味というのが考えられる。身も蓋もないように聞こえるかもしれないが、ベルンカステルの助言(=魔女は必ずしも最善手を打たない)などからこの可能性も考慮する必要がある。もう一つは、以後の犯行を円滑に行うため。例えば、疑心暗鬼になった人間を個別に殺したり、手紙にある碑文の謎が犯人のミスリードと思わせたり(≒隠されてるものにこそ真実があると思わせる)、といった具合である(※2)。
※2
もちろん、碑文の謎に沿った殺しといういかにもなルールに注意を向けさせることで、そこに潜む別の意図、法則性(殺す順番など)を隠蔽している可能性は十分あるが。
<屋敷内に意識を向けさせるのが目的?>
もっとも、先ほど指摘したように、死体を見せずとも疑心暗鬼にさせることは十分可能である。そう考えてみると、魔女にとっては館の外に意識を向けられることが不都合なのかもしれない。もし死体が発見されなければ、ep2の最初の事件がそうであったように、教会(=普段は使われていないところ)などが探索される。そのうち、森に意識が向くのは必然だが、魔女はそれをこそ恐れているのかもしれない。そう考えると、台風という状況は偶然ではなく計算づくの可能性が高い。そして、金蔵を除けば島の構造に最も詳しいであろうクラウスが(2回とも)最初に殺されたのも納得がいく…と。
これが推理にどう絡むかは難しいところだが、魔女が屋敷の外に意識が向かないようにしている可能性は、一度よく考えてみる必要があるだろう。
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