「この世界の片隅に」でヒロインを演じた「のん」の演技が極めて優れているという話を前にした。ところで、その「のん」こと能年玲奈が事務所独立云々で騒がれていたことがあり(様々な怪情報も飛び交っていた)、たとえばその世界に詳しい吉田豪も、ぼかしながら相当事務所などの圧力があったことを伝えている。そういった方面に私は詳しくないが、明らかに異常な情報が次々と出てきたので、ちょっと眉に唾をつけて聞き流していたが、少なくとも異常と言えるほどの干されっぷりをしていることは目に見えてわかった。
さて、先のインタビューで語られていたことが正しいとすれば、芸能界、というか芸能事務所というものの異常性を表す一端と言えるだろう(何せ本名を使うことさえ許可が必要ってどれだけクレイジーなのかって話だ)。ところでこれに関して、事実として正しい、正しくないという指摘をするならわかるが、ちょっと理解に苦しむのは「わかっててそういう世界に入ったんでしょ?」という意見である。
なるほど確かにそれは自由意思によるものだなあと一瞬納得しそうになる人がいるかもしれない。しかし、ちょっと待ってほしい。もしもそれが正当化されるなら、たとえば電通の過労死はなぜあれほど問題になっているのか?博報堂と並んで有名な広告代理店であり、その社風はよく知られているものだった。だから少し上の世代にとってみれば、「仕事がきつい?電通入ったんだからそんなの当たり前じゃん。何言ってんの?」となる人もいるだろう。では、電通が正しくて、自殺した人の自己責任なのか。そうではないだろう(もしそう違うと言うのなら、その業界だけ治外法権になる理由を説明できるのだろうか?)。あるいは「体育会系」。そういう世界に入ったんだから体罰は当たり前で、理不尽な上下関係も当然。そういうもんなんだから我慢しろ。入るならお前の自己責任だ云々・・・
このような思考停止にも近い自己責任論が特殊な環境の存在を許容し、いわゆる「ブラック~」的なるものを延命させているのではないだろうか?だとすれば、そういう発想をやめて環境の妥当性を問う態度を一般的にしていくことが、社会全体が働きやすい環境となるためにも必要であろうと思う(まあ打たれたり罵られたりするのが趣味って人は、そういうお店に行ってどうぞw)。
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