竹生島を訪れた時の記事で言及した金田一耕助の「獄門島」は、戦争のために供出された寺の鐘が元あった島へ戻る場面から始まる(厳密に言えば傷痍軍人を装う人物だが)。これは同シリーズ「犬神家の一族」などにも見られる、戦争の傷痕の描写の一つだ(なお、原作が雑誌に掲載されたのは昭和22~23年)。
これだけ見ると、仏教教団は政府によって戦争に協力させられた「被害者」と見えるかもしれないが、実際には進んで政府や戦争に協力した場面も多々見られる。そのような実態を描いたのが鵜飼秀徳『仏教の大東亜戦争』である。
ここで語られるのは梵鐘の供出だけでなく、「愛国号」や「報告号」と名付けられた戦闘機の献納、侵略を正当化する教義の捏造、植民地での布教(いわば「文化帝国主義」の尖兵)といった、仏教教団(正確にはそれを始めとする宗教集団)の戦争協力の実態である。先ごろの暗殺事件とその動機付けから政治と宗教の癒着が明るみに出て政教分離のあり方が改めて問われる昨今、癒着の歴史を見直すよい書籍の一つとしてお勧めしておきたい(なお、この書籍が発売されたのは今年の7月20日なので、旧統一教会問題がきっかけで書かれた本というわけではない)。
さて、今回この書籍に言及した理由は個人的な興味にも基づいている。手短に書けば、「日本人の大半が無宗教と認識するようになった経緯」を分析するにあたり、明治期以降の仏教の動静に興味を持っているのだが、そこで仏教教団と政治との関係性は一つの重要なテーマということだ。
以下、これについて説明する。
1.
戦後まもなくの意識調査では、自身を無宗教と自認する人間が過半を占める状況ではない。
2.
一方で、「家の宗教」が90%弱、「個人の宗教」が50%程度という返答のギャップがあり、戦後間もない状態ですでに宗教的帰属意識が個人の信仰心ではなく、「周囲が信じている(から自分もそれに合わせているだけ?)」という人減がかなりの数に上っていた可能性が想定される。
3.
近代化と世俗化はある程度普遍的現象であるが、日本において戦後の都市化・核家族化(さらに言えば高学歴化)によって宗教的帰属意識が急速に剥落(いわば「空気」化)していった背景の一つはここにあると考えられる。
4.
とすれば、そのような状態がどのようにして生じたのかを分析する必要がある(前にも書いたが、本地垂迹説的な神仏習合ができあがるには400年の時を必要としたわけで、こういう意識が一朝一夕にできあがるわけでないのは言うまでもない)。
5.
形式化・儀礼化という観点では、江戸幕府が始めた宗門人別改帳や檀家制度による仏教の「国教」化と宗教統制が大いに影響していると考えられる(「葬式仏教」などとも呼ばれたりするが、わかりにくければ「仏教の役所化」と表現してもよい。出生や死亡を届け出たからと言って、役所に強い帰属意識を持つ人間がどれだけいるだろうか?)。ただしこの段階では帰属自体はしている点は注意が必要である(改帳に記載がないのは無宿人であり、今でいえば戸籍がないような状態)。
6.
明治期から戦前にかけては、梯子を外された仏教が巻き返しをはかるため様々な運動を行ったが、例えば井上円了の探究などから知識人層では仏教の「哲学化」が起こり、他方一般大衆ではラジオ放送などを通じて仏教の「道徳化」が生じ、儀礼の意味・重要性が再定義・再認識はなおざりなまま形式化が進む(もちろん個人差・地域差はある)。
7.
この状況を踏まえて1や2の状況に戻る。こうして遊離した宗教的帰属意識は、伝統共同体から離れることで容易に剥落していった。そしてその空白を埋めたのが、終身雇用や社員旅行、企業墓などによって記述される家族経営的会社共同体であり、そこに包摂された人々は豊かになるために三種の神器などを求めてとにかく働き、それが後には「ジャパンアズナンバーワン」といった経済ナショナリズムとも結びついていった。日本において自身を無宗教と自認する人が多い理由を「アメリカ的物質至上主義」と説明する人もいるが、それにもかかわらずアメリカがそれとは全くかけ離れた状況になっているのは、ベラーの言う「市民宗教」といった社会・共同体と宗教の結合の強さ、あるいは「バイブル・ベルト」と記述されるような地域間格差の大きさもさることながら、こういった社会背景の違いに原因が求められるのではないか。
とまあこういう仮説で今考えているわけだが、6に関しては田中智学の国柱会や井上日召の血盟団のようなものも存在するため、それらの背景や影響を見ていく必要がある、と以前記述したのだった。
こういう文脈において、仏教と政治との関係性を知る一助としてこの本書を取り上げた次第だ(ただし血盟団がわかりやすいが、彼らは政府や財界の要人を複数暗殺しており、政権=体制との癒着という視点で考えると見誤る)。実際、外堀を埋めていく端緒として、有益な書籍であったと感じている。
ただ、一つ注意を喚起しておくなら、こういった仏教による政府へのすり寄りや戦争協力が、民衆の教団イメージや民衆の帰属意識にどのような影響を与えたかはまた別でみていかねばならない、ということだ(例えば韓国においては、キリスト教が抵抗の象徴とみなされ、それが教勢を拡大する背景となったという見方がある→『韓国とキリスト教』)。ともすれば、その腐敗した実態を見たことでの批判精神から、「だとしたらこれを知った信徒たちも教団へのロイヤリティーを失った(下げた)はずだ」という先見を抱いてしまいかねないが、そう結論づけるのは早計であり、当時の反応=実態を見ていく必要があるだろう。
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