「灰羽連盟:舞台設定、偶然性、実存」と「同:労働、記憶喪失、実存」において、灰羽連盟で根幹をなすテーマが「宗教的」だとか「青臭い」として敬遠されなかった要因を分析した。ごくごく簡単に言えば、それは
(1)
特定の世界観を押し付けられている感じがしない。またその要因は、イメージを突き崩すアイテムの配置と、そして世界の成り立ちを誰も知らず、作中で説明もしていないことにある。
(2)
それゆえに、作中人物たちが世界の成り立ちを希求したり実存の危機に直面して苦悩する姿が違和感なく受け入れられる。
(3)
実存を描いた時には、どこか「青臭い」感じがして「まあこういう悩みもあるよね」と受け流してしまいがちだが、守られている代わりに働くという自立の精神の描写や記憶喪失に類似する灰羽の設定がそのような「実存にまとわりつくヌルさ」とでも言うべきものを払拭するがゆえに、灰羽の実存の苦悩は必然性を伴った重みのあるものとして受け取られる。
の三つに集約できるが、これはそのまま「灰羽連盟と『説明不足』」で問題視した「何となく印象に残るいい話だった」といった評価が多い理由の説明にもなるだろう(前述の理由で設定などに突っ込みにくい上、細々したところへの突っ込みは不粋に感じられる、といった事情もあるだろうが)。
というわけで、三年前の中途半端な記事の落とし前(笑)はきっちりつけることができたと考えている。まあ(1)などは、「いわゆる文化のガラパゴス化という特徴が根源にはあって、最初から狙っていたわけではないだろう」といった議論もできるが、実際のアニメでカメラワークなどによってそう感じられるように見せている以上、作品への評価の要因、つまり「なぜそのように評価されるのか」を分析する上ではあまり重要ではない(とはいえ、こういう作品がなかなか一般的にはなりえない理由としては本質的な指摘であるように思える)。その他、先の要因をまとめて宮台真司風に、「作中人物たちの苦悩が自意識の問題として閉じこもっておらず、世界に対して拓かれている」と表現することもできる。この場合は、実存について描いている作品の多くがつまるところ自慰識しか描いておらず、それゆえに偶然性や寄る辺のなさを背景とした灰羽のような重みも広がり(一般性)ももちえないのだ、といった話になるだろう(自分が何を思い悩もうと、世界はどこ吹く風で存続し続ける、といった話は「この道、わが旅・・・」でも書いている)。
とか何とか言っているうちに結構な分量になった。本来は「灰羽連盟:労働、記憶喪失、実存」の1.5倍ほどある草稿を掲載してあれこれ説明する予定だったが、それは次回に譲ることにしたい。
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