<調和を重んじ…>
出る杭となって衝突することの回避に優先順位を置けば(空気に注意を払えば)、価値観の多様化した社会では表面的なコミュニケーションしかできない。ゆえにコミュニケーションの希薄化という現象が観測されることとなる。雄弁は銀、沈黙は金とあるように言わぬ方が色々考えてるように思われるが、実際にはネットなどで見られるように感覚をただがなり立てるのが大半だ。これは他者との会話を通じて自らの思考やその伝え方を錬磨しなかったことの必然的な帰結だ。枠組みを思考できない人たちは、それを西欧的個人主義などとして断罪するが、逆に日本的であるがゆえの問題。
<無題>
働かざる者食うべからず→理屈としてはわかる。終身雇用の社会とグローバル化された競争社会は同一視できない。また共同体が存在した昔と、崩壊した今では状況が違う。
<前田、渡辺→「先生」と会う>
もしあなたたちが今日のコミュニケーション不全を批判したいなら、日本的コミュニケーションの在り方と価値観の多様化が共存していることの必然的な帰結であることを理解した上でどちらかを批判しなければ意味がない。コミュニケーション方法→丸山真男の繰り返し。価値観の多様化→グローバル化批判→グローバル経済、情報化社会批判→日常の食物はどーすんの?国際競争は?価値観の多様化だけを押さえることは不可能である→鎖国でもします?輸出に頼りやくってる国なんで企業はメチャメチャになって生活状況も大きく後退しますが、それでいいの?もっと言えば人はそれを望むの?ソコマデスル?
<境界線改>
水野、山下。小田原エピソード紹介、じゃあ草稿に従って…やめた~。いやシベ長じゃないんだし。草稿はどーする…境界線の曖昧さを考えるのに内容はともかく形式が裏切る。コンスタとパフォーマ膨大な分量や思考がむしろハードルの高さを感じさせてしまうから。斎藤「どっちでもいいや」。見た目がかわいければ何でもいい、というあっけらかんとした感じ。ただ、それでもリアルなら身体性が枷になるが、二次元はそれを抹消できるためより曖昧、ハードル低になるよと言ったほうが適切。ゴスロリ女を女としかみなせなかった。むしろ非エロの方がラディカル。どっちでも同じじゃね?と思わせる。
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