明日で仕事収めか…やはりまるで実感がないなあ…とか思いつつ。
<子供は天使じゃない>[※]
虐待を読んで。親も被害者…[ひぐらしに登場する]大人は何やってんだという怒りなどに対して。もっとも、親が有利という力関係は動かないが…、梨果の例(まあ[自分の]ムスメじゃないが)、萌えキャラ=庇護すべき存在[が反抗する]⇒梨果ママのような反応?、飼い犬に手を噛まれる怒り、子供は天使は逆効果、子供は子供であってそれ以上でもそれ以下でもない、堕胎についての意識、赤子や幼児の死について根本的な罪悪感が欠落している[※2]?イエ意識、事なかれ、核家族のため世話は大変だ。昔と同じ基準で見るのは果たして妥当か?
※
後に「子供は天使じゃない」として上げられる記事のプロトタイプ。最初は萌えキャラの虚構性という方向で書こうとしていたが、梨花ママの「普通」という願望と『虐待』に出てくる母親たちの反応の類似点を考えたとき、身勝手な期待が虐待を生むのではないか、という結論に至り、結局は「子供は天使じゃない」という題に落ち着いた。この期待は、共感の問題でも再び取り上げることになるだろう。なお、「梨花はもう萌えキャラではなくなった」という記事ともリンクしている(自分も萌えキャラとして梨花に勝手に期待していただけ)。なお、期待とレッテル貼りの近似性も注意すべきところである。
※2
思いつきとは言え、水子寺のことなどを考えれば随分独断的なことを書いている。これに対し、日本人が子供に対して非常に優しい(?)という外国人たちの感想をもって反論する人がいるかもしれない。その事実は重視すべきだが、その優しさゆえに期待を裏切られた反動で虐待してしまう可能性を考慮に入れる必要がある。
<演繹的に考えすぎ(音楽、自己など>
安易な一般化ばかり、具体例積み上げろ(経験則の一般化について)、相手の言っている情報を集積、作品に書かれている内容の集積、まず形をとる→意味論(他者との齟齬、分析・事実の伝達)、[※3]
「目的もなく、自分ではない他人の生い立ち、人格を真剣にイメージする事は、それ自体が苦痛に近い作業だ。すれ違った他人を観察し、それを元にどれだけ想像力を広げられるか」(『DDD』一巻239Pより)、[※4]
もういい加減「日本的思考の原型」を読むべき(ものぐさなのにやるだけの意味、ブログもw)、言われてわかる、先を考えられる、あまりに美しくて死んでしまいたい[「機械仕掛けのドムドーラ」と同じでフレーズが思いついただけ]。
※3
書いてあることさえ読めていないというのは、特に「君が望む永遠」のレビューなどを見て回っていて感じたことである。意味論の前に形を取れっての。
※4
何も考えずに「共感」とか無礼な言葉を吐ける人間に聞かせてやりたいセリフだ(とはいえ、「わかったフリ」が喜ばれるという点において、共感なる幻想は奨励されるのだが)。他人の人生に基づいた経験則と、さらにそれを土台とした感覚・感情を読み取れるようになったのなら、その人は「神」に違いない。
<無題>
エレクトラとエポの例は他と違って性的なものを強く帯びている(破れた服、エロゲー)、もしくは狙っているため、ナウシカなどの事例(教科書)と同列に扱ってよいものか?性的な狙いなし。
<共感=甘え?>
コッポラ娘がどうした?金髪スキーの源泉がまるでわからん。おそらく、一般的すぎて意識しなかったからだ。WWのエポ=褐色(小学六年)、髪型とか思い出すと、ナディアのパクリみたいなキャラ。しかし肝心のナディアには反応した記憶なし(いつ?)→エレクトラのやられる姿は印象に残った(何度も見返すとかじゃない。拒絶しない不思議)。やられ姿の上限修正、金髪スキー?エウ゛ァのリツコには反応せず。むしろミサト、阿佐ケ谷腐れ酢学園、嘘吐きみーくん2.読み終わった直後にもう一度読みたいと思った。狂気が論理[?]で繋がっている(花瓶、毒物の回避など)、DDD.模倣の話と巻菜がお気に入り
※5
「嘘つきみーくん2」のことはきちんと書きたいと思うが、二周目を読まないと…と思っているうち今に到る。なお、奈須きのこ「DDD」のことは迦遼カイエに送る最期の詩で書いた(?)が、カイエよりも巻菜を気に入ったことの方がよほど重要である。というのも、自分の人生観と深く関係していると推測されるからだ。これについては、「信長は天国へ行った?」という記事の由来を述べる時明らかになるだろう。
<子供は天使じゃない>[※]
虐待を読んで。親も被害者…[ひぐらしに登場する]大人は何やってんだという怒りなどに対して。もっとも、親が有利という力関係は動かないが…、梨果の例(まあ[自分の]ムスメじゃないが)、萌えキャラ=庇護すべき存在[が反抗する]⇒梨果ママのような反応?、飼い犬に手を噛まれる怒り、子供は天使は逆効果、子供は子供であってそれ以上でもそれ以下でもない、堕胎についての意識、赤子や幼児の死について根本的な罪悪感が欠落している[※2]?イエ意識、事なかれ、核家族のため世話は大変だ。昔と同じ基準で見るのは果たして妥当か?
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後に「子供は天使じゃない」として上げられる記事のプロトタイプ。最初は萌えキャラの虚構性という方向で書こうとしていたが、梨花ママの「普通」という願望と『虐待』に出てくる母親たちの反応の類似点を考えたとき、身勝手な期待が虐待を生むのではないか、という結論に至り、結局は「子供は天使じゃない」という題に落ち着いた。この期待は、共感の問題でも再び取り上げることになるだろう。なお、「梨花はもう萌えキャラではなくなった」という記事ともリンクしている(自分も萌えキャラとして梨花に勝手に期待していただけ)。なお、期待とレッテル貼りの近似性も注意すべきところである。
※2
思いつきとは言え、水子寺のことなどを考えれば随分独断的なことを書いている。これに対し、日本人が子供に対して非常に優しい(?)という外国人たちの感想をもって反論する人がいるかもしれない。その事実は重視すべきだが、その優しさゆえに期待を裏切られた反動で虐待してしまう可能性を考慮に入れる必要がある。
<演繹的に考えすぎ(音楽、自己など>
安易な一般化ばかり、具体例積み上げろ(経験則の一般化について)、相手の言っている情報を集積、作品に書かれている内容の集積、まず形をとる→意味論(他者との齟齬、分析・事実の伝達)、[※3]
「目的もなく、自分ではない他人の生い立ち、人格を真剣にイメージする事は、それ自体が苦痛に近い作業だ。すれ違った他人を観察し、それを元にどれだけ想像力を広げられるか」(『DDD』一巻239Pより)、[※4]
もういい加減「日本的思考の原型」を読むべき(ものぐさなのにやるだけの意味、ブログもw)、言われてわかる、先を考えられる、あまりに美しくて死んでしまいたい[「機械仕掛けのドムドーラ」と同じでフレーズが思いついただけ]。
※3
書いてあることさえ読めていないというのは、特に「君が望む永遠」のレビューなどを見て回っていて感じたことである。意味論の前に形を取れっての。
※4
何も考えずに「共感」とか無礼な言葉を吐ける人間に聞かせてやりたいセリフだ(とはいえ、「わかったフリ」が喜ばれるという点において、共感なる幻想は奨励されるのだが)。他人の人生に基づいた経験則と、さらにそれを土台とした感覚・感情を読み取れるようになったのなら、その人は「神」に違いない。
<無題>
エレクトラとエポの例は他と違って性的なものを強く帯びている(破れた服、エロゲー)、もしくは狙っているため、ナウシカなどの事例(教科書)と同列に扱ってよいものか?性的な狙いなし。
<共感=甘え?>
コッポラ娘がどうした?金髪スキーの源泉がまるでわからん。おそらく、一般的すぎて意識しなかったからだ。WWのエポ=褐色(小学六年)、髪型とか思い出すと、ナディアのパクリみたいなキャラ。しかし肝心のナディアには反応した記憶なし(いつ?)→エレクトラのやられる姿は印象に残った(何度も見返すとかじゃない。拒絶しない不思議)。やられ姿の上限修正、金髪スキー?エウ゛ァのリツコには反応せず。むしろミサト、阿佐ケ谷腐れ酢学園、嘘吐きみーくん2.読み終わった直後にもう一度読みたいと思った。狂気が論理[?]で繋がっている(花瓶、毒物の回避など)、DDD.模倣の話と巻菜がお気に入り
※5
「嘘つきみーくん2」のことはきちんと書きたいと思うが、二周目を読まないと…と思っているうち今に到る。なお、奈須きのこ「DDD」のことは迦遼カイエに送る最期の詩で書いた(?)が、カイエよりも巻菜を気に入ったことの方がよほど重要である。というのも、自分の人生観と深く関係していると推測されるからだ。これについては、「信長は天国へ行った?」という記事の由来を述べる時明らかになるだろう。
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