愛撫の欲望は、いわば「攻めっ気」や「Sっ気」とみなされがちであるが、私は大いに疑問を感じる。
なぜなら、愛撫の欲望にはその結果として対象の恍惚や多幸感、端的に言えば他者の悦びの希求も背景にあり、前述の評価はそれを等閑視しているやうに思えるからだ。
例を挙げよう。動物をモフらんと欲するのは、なるほで確かに自らが癒されんとする利己的精神性もあるだらうが(実際ストレスを減少させるといふ対照実験結果もある)、同時にその心持ちの源泉に彼・彼女らが気持ちよさそうにしているのを見るのが喜びとなってゐる、という側面を見逃すべきではない。
愛撫の欲望が征服欲、すなわちマッチョイズムに基づく部分もある点は注意を要するが、それに批判的になるあまり、今述べたやうな側面を無視するなら、その先にあるのはセックスと名指されるが、その実相手不在の「二人オナニー」に堕するだけだらう。
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