「献体をSNSに投稿して大炎上」という話を聞いての率直な感想は、「うっわ~頭悪っ!」というものだった。
こう書くと、違和感がある人も多いのではないかと思う。いやむしろこれは「不謹慎」とか「品性が疑われる」とかそういう精神的・道徳的な話が問題じゃないのか…というわけだ。もちろん、そういった意見を否定するつもりはない(ついでに言っておくと、自分はドナー登録をしているので、こういう扱われ方は必ずしも他人事ではない)。
ではなぜ自分がこれらの行動に「頭が悪い」という感想を持ったかというと、自らの行動を公にしたらそういった反発が来ることを予想できないほどメタ認知能力が欠落している、言い換えれば戦略的思考が欠落しているからだ。
例えば仮に、あえて議論を喚起するために、「公序良俗に反する」として眉を潜められそうな行為を公にするのは理解できる。しかし、今回の行為にそういう問題提起のような性質は皆無だったと言える(だから即座に投稿は削除されたわけで)。つまり、ここまで批判を受けるなんて想像もしない、ただただ軽はずみな投稿だったのだ。
なお、今回のように、いわば「内輪ノリ」をそのまま公にするリスクを考慮しなかった結果の不利益は、二つ目の動画にもあるようにコンビニのバイトテロとその拡散行為であったり、あるいは先日話題になった、フジテレビがアナウンサー同士の裏側のやり取りを(おそらくウケると考えて)公開したのと類似している。
つまり、現代にはこういった事例がいくらでも学びとして存在しているのに、それらを反面教師にすることもなく、「人の死骸の扱い」といういかにもセンシティブな存在(つまり自分とは違う感想を抱く人間が大勢生まれうる)を軽々に扱ってしまえるあたりに、教訓化して行動に反映するという学びの意思も能力も欠如していると言える(ちなみにこの両極に位置するのが、ナポレオンやヒトラーなどによるプロパガンダ的なマスイメージ戦略ということになる)。
そういうわけで、道徳的・倫理的な問題として指弾されるのはもちろんのこと(献体への忌避が社会的不利益をもたらすといった側面もあるので個人的嫌悪感の話にはとどまらない)、その行為を公にすればどのような結果をもたらすかというメタ認知を欠いている点で極めて頭も悪いと言えるのである。
以上。
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