私にとってこの世は、笑顔で嘘をつく唾棄すべき者たちが支配する空間であり、しかも彼らはそれを疑いもせず「普通」として自分に押し付けてくる異星人たちであった。そういう思いの中で、私は小学校5年だか6年の時、世界に失望した。それは当然、「普通」という基準への嫌悪・憎悪に繋がった。おそらく、その時すでに「狂気」へ傾倒する準備は整っていたのだろう。それがすぐに顕在化することはなかったが、私は恐ろしく投げやりな生き方をする人間になっていたように思う。
※今では、失望する前に自らが世界に持っていた希望は正しいのか?という内省の方向に意識が行かなかったことを嘆かざるをえないが、結局私は一人で期待して一人で失望していたわけであった。ちなみに、前にも書いたが、この時書かれたのが「人間も 死んでしまえば ただのゴミ」という川柳。ブラックユーモア好きと「普通」という基準への反発が生み出したと思われる。
※今では、失望する前に自らが世界に持っていた希望は正しいのか?という内省の方向に意識が行かなかったことを嘆かざるをえないが、結局私は一人で期待して一人で失望していたわけであった。ちなみに、前にも書いたが、この時書かれたのが「人間も 死んでしまえば ただのゴミ」という川柳。ブラックユーモア好きと「普通」という基準への反発が生み出したと思われる。
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