「愛国」をスローガンに極端な自己正当化と排外主義的言説・行動を旨とするのが国粋主義であるが、それが全くのところ国益とはならないことが、今回の中国人による日本人男児殺害によって、またも証明されたように思われる。
というのも、中国当局はこの問題に関する釈明に追われ、日本はもちろん国際社会に対する不要な「弱み」を作ることになってしまったからである。
今回の事件に関し、道徳心・倫理の問題として批判することも可能であるが、人の道を説いたところで、道徳心など人それぞれだし、当てにならない。
だからこそ、「愛国者」を名乗る輩には、国益という名の刃を突きつける必要があるのだ。即ち、「あなたは愛国を語りながら、自己満足のために国益を損ねる無能な働き者なのか?」と。あるいはもしあなたが真に国を大事に思うなら、それを毀損した自らを今ここで裁くがいい。それができないなら、君は唾棄すべき偽善者だ、と。
私はしばしば原理日本社など国粋主義の団体や言説を批判してきたが、それは「愛国」を語りながら(騙りながら)、その実国にとって真に利益になることは何かを吟味することもなく、ただ自己を投影して感情を表出させただけに過ぎない、という欺瞞に満ちた集団だからだ。より一般化すれば、仮に今回のような事件を起こしたのがアメリカ人だろうと台湾人だろうと、評価は同じであって、私は道義的にも戦略的思考の欠落という意味でも同様に「恥を知れ」と言うだろう。
ということで、この一件は背景にはまだ不明な点が様々あるが、少なくとも「国粋主義は国益とならず」。ゆえに「真の愛国者はそのような立場を取りえない」という点で他山の石となる出来事だったとは言えるのではないだろうか。
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