銀河英雄伝説は誰の視点で語られているのか?:あるいは「作劇上の都合」という視点の重要性について

2024-09-22 11:23:39 | 感想など

 

 

 

 

 

なるほどね、銀河英雄伝説が「後世の歴史家」視点で語られているのは作中のナレーションからわかるし、そこに大きな影響が与えたのがユリアン・ミンツだったというのは想像に容易いとしても、「それによるバイアスがどのように表れているか」という視点での人物再評価というのはやったことがなかったので大変興味深い内容だわ。

 

もちろん、このような解釈こそが真実だと言う必要はないし、また言うべきでもない(動画主もそんな事はそもそも求めてない)。ただそれは、単純に解釈の多様性という問題ではなく、コメント欄でも複数指摘があるように、常に「作劇上の都合」を意識する必要があるからだ(ドラゴンボールで言えば超サイヤ人の金髪に特別な意味を求めること自体は自由だが、作者がそう描いた理由は「トーンを貼るのが面倒だから」であるw)。

 

一例を言うと、同盟を降伏させた後にレンネンカンプが高等弁務官としてハイネセンに派遣されるが、これに反対する意見がオーベルシュタインから出ている以上、「必ずしも適正ではない、失敗する可能性が低くない人事」と作者自体が明示していることになる。で、これをリテラル(リアリズム)に捉えると、レンネンカンプをその役職につけたのは、外交能力以外のものに期待した結果という解釈になるだろう。しかしそもそも、ここでは4つの条件をクリアする必要があって、

1.物語を続ける以上、ヤン一党がこれで一掃されてしまうような事態は避ける必要がある

2.とすると、彼を抑えようとする行動は失敗せねばならないが、その場合「有能過ぎる部下」、例えばオーベルシュタインやロイエンタールといった人間を同盟の監視役的な地位に就けるのは必然性を欠くため、そもそもできない(もちろん帝国の裏で内政をコントロールするオーベルシュタイン、ミッターマイヤーと共に軍事の中心の一人であるロイエンタールが首都オーディンから離れるという人事があまり現実的ではない、という事情もあるだろう)

3.かと言って、新しく重要な統治領をコントロールするのに、凡庸or無能な人間を配置するのはラインハルトの性質から言って必然性を欠く

4.ギリギリありそうで、かつやらかしそうな人を設定する必要アリ→ミスターレンネンきたコレ(・∀・)

という感じだろう。

 

こういう「作劇上の都合」というのは野暮な話に思えるかもしれないが、作中描写を元に思考のジェンガをやっている時、一度クールダウンするためには有効な視点だし、さらに言えば実際に歴史や現実社会を分析していく際には非常に有効であったりする。

 

その一つは「天国と地獄」であり、それが「実在するのか否か」というベタな視点だけでなく、「なぜそのような語りが宗教でしばしば用いられるのか」というメタな視点に立つと、

1:司馬遷の「天道是か非か」的な現実社会の不整合を、「あの世での平等な救済・処罰」という理由づけで信徒や勧誘者に納得させやすい

2:将来の世界を示すことで、信仰・戒律を守るインセンティブを与えられる(守らないことへの脅しにもなる)

という結論を得ることができるだろう。

 

「作劇上の都合」が重要な理由を最後にもう一つ。銀河英雄伝説の原作(小説版)と旧OVA版を比べる時にも、この視点はとても有用となる。例えば小説のある場面で、Aという人物がラインハルトに進言する場面があったのに、旧OVA版ではメックリンガーに変わっていたとしよう。これが意味するのは、「その役割が誰でもいいということ」ではなく、むしろラインハルトとある人物(この場合はメックリンガー)が知遇を得る機会を意図的に設けた、ということである。

 

こういう変更自体は散見されるのだが、小説の初登場時はパッと出てきたように見え、後に重要となった人物ほど、こういう変更を施される傾向が強いように思える(具体的に数字を出したりしてる訳じゃないのであくまで印象論だが)。これはつまり、その人物が後にクローズアップされるにあたっては、そもそもラインハルトから見出される理由があったのだと視聴者に納得させるためだろう。そして裏を返せば、これは「原作の段階ではそこまで考えてなかった」ことを如実に示してもいるのである。

 

このような変更は、繰り返しになるが、小説版とOVAでは世界(観)が違うといった話ではなく(リテラルに取るとよく似た並行世界とかにしないと説明がつかないw)、あくまで重要人物に登場の必然性を付与するという作劇上の都合で、演者を入れ替えることにした、と理解すべきところだろう。

 

ことほどさように、「作劇上の都合」というある意味ドライでメタな視点は、作品を深く読み込んでいく時の錨、もしくは彼方に跳躍する時の命綱のような役割を果たす重要なものだと言っていいのではないだろうか。

 

そしてこういう意識をしていると、実は歴史史料を読んでいく時にも大変参考になりますよと述べつつ、この稿を終えたい(以下に参考として室町時代の永享の乱の解説動画を引いておく)。

 

 


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