散髪することはアウトか?と聞かれたら、Yesと答える人はまずいないだろう。では化粧は?といえばこれまた否定する人もほとんどいまい。さらに言えば、永久脱毛や包茎手術、レーシックについても(危険性を別にすれば)それが不可であるという意見を聞いたことがない。
以上のようなことを踏まえたとき、(美容)整形になるとやたら否定的だったり揶揄の対象になったりするのはなぜだろうか?美人については「整形疑惑」なるものが取り沙汰されたり、また芸能人については誰々が整形したなどと昔の写真を持ち出すような行為がしばしば行われている。
私にとってこれはとても不思議なことだ。化粧はもちろんのこと、デオドラントであったりブレスケアであったりと昨今では様々な領域で自然状態ではなく「装い」 をすることが求められるようになっている。一体どうして、整形だけが別のカテゴリーのように扱われているのであろうか?
これに対して、「親からもらった身体をいじるのはけしからん」という人がいるかもしれない。では、散髪は?脱毛は?化粧は?なるほど「化粧も含めて身体はなるべくいじるべきではない」という立場を取るのであれば、一貫した主張として(賛同するかはともかく)理解はできる。しかし、先にも述べたように散髪やら化粧やらというのはもはやマナーのレベルに近いものとすらなっており、整形に否定的な人間が「そもそも化粧だっておかしい」などと主張している様子は見られないのである。
要するに、こと整形に関して「親からもらった身体」云々という主張は不快感を表明する際の口実でしかないと考えられる。ではその原因は何だろうか?と考えた時に、先日の「他人の顔」に絡む話は長文化するのでここでは置いておくと、「装い」に関する無知と単純な嫉妬であろう(前者は化粧に縁がない男性に多く、また後者は芸能人に関するものが特に多そうである。というより、そうでもなければ直接縁もゆかりもない芸能人らが整形か否かなどがどうして問題になるのか全く理解できない。何だったら本当は実態のないホログラムだったところで我々の生活には何ら影響はないのである)。
さて前者の「装い」に関する無知について、先日の「相談は踊る」内の「時空お悩みパトロール」で取り上げられた岡本太郎の解答は秀逸であった。
結構後の方に出てくるので(1:13:00あたり)あらかじめ相談内容を引用しておくと・・・
今夜は、雑誌『週刊プレイボーイ』に1979年から81年まで掲載。芸術家の岡本太郎さんによる人生相談『にらめっこ問答もんどう』より、東京都・19歳男性会社員からの相談「ぼくは今日、プールへ行って、愕然とした。彼女と一緒に行ったのだけど『さあ泳ごう』と更衣室から出てきた彼女の化粧を落とした顔が、まるで別人のように変わっていたからだ。正直いって、その顔は化粧をしていたときの顔にくらべると、あきれ返るようなブスだったのだ。こんなブスに、ぼくは「好きだ」といってしまったのだ。結局、ぼくが好きだったのは化粧をしていた彼女の方ほうだったのだろうか。確かに化粧をしていなくても、彼女の心は少しも変わらないのだが、少なくとも、幻滅を感じたのは事実なんだ。でも、こんなふうに思うのはまちがっているだろうか」
詳しくは聞いてもらうとして、彼が述べたことを一言でまとめると、相談者は「装い」に関して無知すぎるということ、そして「装い」をとった時に相手がどういう反応するかも踏まえて素を見せたであろう相手の心情について考えが至らなすぎているということであった。私にはこの岡本太郎の相談回答に我が意を得たりと思った。何度となく取り上げてきた整形への批判に対する疑問の一端はまさにこのような点にあったからである。化粧動画がネタになるのも、結局のところ(特に男子が)いかに「装い」に関して無知であるかを示しているように思える。
[補足]
整形を繰り返す人間は、問題がそもそも美醜ではなく「自己受容」である可能性が高いから、それは指摘してあげるべきだ。また、齢を重ねると、顔が崩れてきて再び整形しなければならないという事態に陥ることもある。だがそれは、単に技術的な問題であって、善悪の話ではないことに注意を喚起しておきたい。
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