北条家を襲撃し、鉄平を撲〇す(吉田K好)
とかいうクレイジーな感じで始めてみたが、今回は最近全く書いてなかった今後の予定的な雑記である。やることが詰まっていると、ごちゃごちゃ言ってる暇があったらとにかくやれやという感じで旅行系+αの構成で進めてはいるが、いくつかのジャンルに分けて見取り図的なものを書いておきたい。
・ホロライブの件
卒業ラッシュの時タイムリーに記事上げたと思ったら、なに一週間も放置プレイしてんねんて話だが、あの後様々な方面の切り抜きやらそれに対するホロライブメンバーの反応やらを見て、元々の記事をどういう角度で仕上げるかをちょっと思案している状態。正直、悪意ある切り抜き(それが元々のアンチか反転アンチか、あるいは何らかの利益誘導的なものかはさておくとして)とそれに扇動される杞憂民の片棒をかつぐみたいな記事にはならないようにはしたいので、もう少し吟味が必要か・・・と思っていたところに、「杞憂民が増えてしまう構造的必然」と「赤井はあとのこと」という覚書ができてしまい、さてどれから上げるか・・・とさらに迷う材料が増えたのが現状。とはいえ、さすがに12月を超えると塩漬けになる可能性大なので、どこかで一気に出してしまいたいところ。
・歴史系の記事
吾妻鏡と厳島の戦いに関して記事を準備しているが、隠岐旅行や古河旅行の中で歴史やナショナリズム、偽史の話もしているので、話題が重複する兼ね合いでちょっと優先順位が低いかな、という感じ。いや、というかそもそも信長の評価の歴史的変化に関する記事もまだ上げてないままやんけ、とか山積みだが、まあそれらも今年度中にはね。
・旅行系
現在の隠岐旅行(夏)と古河旅行を年内に書き終えたら、年明けから隠岐旅行(秋)に着手し、並行してカンボジア旅行も再開してGW前には終わらせる。オワラセル予定ダヨ(・∀・)てかウズベキスタン旅行や韓国旅行の続きを書く時間をどっかで作らないとな・・・
・その他①
The absolute essence of science is that it offers a mechanism for you to identify the right explanation. Anyone with imagination can construct a tale that neatly accounts for the ways the world behaves- where rain comes from or what happens when something burns. But these are no more than entertaining stories unless you have a reliable way of selecting which is more likely to be correct.
Scientists construct a best-guess story based on their prior knowledge and what’s already been established; and if this story withstands the tests of experiments or observations many times, it is considered a well-informed theory and we can have confidence in using it to explain other unknown aspects. But even then, no theory is ever a “final” theory. Any theory can be undermined later by new observations it cannot account for, and replaced by an explanation that offers a better fit to the data. The essence of science lies in repeatedly admitting you were wrong and accepting a new, more inclusive model.
Thus, science isn’t listing what you know: it’s about how you can come to know. It’s not a product but a process, a never-ending conversation between observation and theory, the most effective way of distinguishing between right and wrong explanations. This is what makes science so useful a system for trying to understand the workings of the world, a powerful knowledge-generating machine. This is why it is the scientific method itself that is the greatest invention of all.
という英文を、今年邦訳が出た『サイエンスフィクションズ』なども絡めつつ書いてみる、というもの。これは多分早くて今年度中という感じか。マシュマロ実験が数十年の時を経て検証したら違う結果が得られたという話であったり、「歴史好き」と歴史学の差異、あるいは陰謀論やトンデモ論の問題点を自然科学の検証法の観点から論じる(まあそんな大げさなもんじゃないが)、といったテイストになるだろう。
・その他②
ビデオニュースを引用するのは久しぶりな気がするが、ここで述べられている「システムの奴隷」的な話は、以前書いたラッセル『怠惰への讃歌』などと深く結びついているため、大変興味深いと考えている(もちろん現代風に言えば動画にも出てくるグレーバーの「ブルシットジョブ」になるのだろうが)。ここまで世界は豊かになったのに、なぜ我々はこんなにも働き続けねばならないのだろうか?そして豊かさ・便利さを求めるために徹底して歯車の一部として入れ替え可能な存在になっていく人間たち。一体、我々は何のために何をしているのだろうか云々という感じだが(この辺が前に書いた人類学の重要性などにもリンクする)、
まあ一歩間違うと(間違わなくても)デカ過ぎるテーマに収拾がつかなくなる恐れがあるので、どこからを切り捨てるかを思案中。これも年内には仕上げないと塩漬け案件ほぼ確定なので、まあ12月20日くらいまでが勝負かな・・・と勝手に思っていたり。
とまあそんな感じである。ま、とはいえ予定を立てても大抵その通りにはならないってのはもうこれまでの経験でわかっているので、焦らずまったりやっていくとしますかね(・∀・)
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