あ~、先生が授業抜け出して不倫関係にあった教え子の母親を殺っちゃったか~。
しかも、周りの大人たちは普段はルールが大事だのと御託を並べておきながら、動揺して隠蔽に走り、子供にもそれを強要する形で馬脚まで現しましたよと🤣
なるほど独りの暴走ならば、「そういうおかしなヤツもいる」で話は済んだんだろうけど、こうして大人≒社会がこぞってこういう対応したんだから、「社会なんて所詮はそんなもんか」と引いて物事を見るようになるのも頷けるわな(・∀・)
あ、どうもゴルゴンです。こないだ草下シンヤ氏の動画を紹介したわけですが、なかなかおもしろかったので他にも色々見ている中で、このエピソードはなるほどと思えるものだったので掲載してみましたよと。
まあここまで衝撃的な体験じゃないけど、自分の小学生で言うと「宗教と思索」や「欺瞞の告発」あたりがこれに類するエピソードやね(その前史として、就学前の「勧善懲悪の嫌悪と三国志」なんかもある)。
こういう経験をすると、いくつかのパターンに分かれるけれども
1:社会から逸脱した道を選ぶ(アウトローの世界を歩む)
2:社会から逸脱したものの研究を始める(アウトローやアウトサイダーの分析をする)
3:秩序側になりすまし、社会規範を徹底的に利用しつくす方向を目指す
あたりになるだろうか。
草下シンヤは概ね2に類するようだが、自分の場合は中村敦彦が書いた『日本の貧困女子』や『同人AV女優』などへの興味がそれにあたると同時に、「そもそも体制側はどういう意図でそういう仕組みを構築したのか」を分析・解体するというスタンスへとつながっている(それについて書いたのが「『学校であった怖い話』から受けた影響:逆殺人クラブとメタ視点」となる)。
あるいは、直接的な1ではないけれども、自分が非日常を経験することで変性意識になるためカンボジアなど海外や五島や隠岐などの離島に行ってみたり、全く意味のわからない場所を突如放浪してみたりするのも、こういう「日常や秩序の脆弱性」という認識が大きく関係している(ついでに言えば、日常とは違う別の秩序の認識が、現在生きている世界理解を深めるのが面白かったり、そこからの解放を促進したりするのが心地よい、というのもある)。
そういう自分の興味関心のオリエンテーション(より根源的に言えば世界理解の傾向)を再認識する上で、なかなかに興味深い対談動画だった。
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