2011/07/17
<ゆめにっき4 デパ地下樹海遺跡>
砂漠に生えた奇妙な形のサボテンと謎のコンテナの組み合わせが荒廃した近未来か異星を思わせる。その後に中南米の遺跡に似た石段が出てきて、そこを登ると裏山の公園だった・・・「ゆめにっき」は、こういう「どこかで見たことのある風景」の組合せが秀逸だ(前に油断して原風景という表現を用いたが、ファミコンを意識した世界などを考慮すればこう言う方が適切だろう、懐かしいは誤解招く)。だから、個々の世界の解釈を語ることは半ば自分語りに等しい。にもかかわらず、この作品世界を。やってると欝になりそうという評価があったが、むしろ強烈な解放感を覚える。
<おっさん劇場笑えるけど嗤えない>
人生が二度あれば。ゴチパン、サビでみな笑う。ベタに思う状況になりうる。おっさんのも同じ。
<ソウル>
これは作品の問題というより受け手が考えるべきことのように思うが、ではその【勇気】をどうやって担保するかが問題。じゃなければ自然な共感と同じで弊害にしかならん。承認と安心が必要。その土台がなければ、不安かリスクヘッジに走るしかなく、「調和」と「地雷」から逃れられないという寸法。俺が信じれば叶う系を嫌うのは、そういう構造に無頓着すぎるからだ。
<孤独死と承認、ロボット>
逆に言えば、孤独死の問題でしかない(アーキテクチャーの崩壊ゆえ是認しえない)。それは解消されうる。アンドロイドにべた褒めされてへべれけになるのび太の様は笑えるが、到底嗤う気にはならない(普段けなされまくっているのび太が誉められてる点をどこまで意識したかはわからんが)。そうプログラミングされてるからそう振る舞うだけで虚しいと言う人がいるかもしれんが、「信じれば叶う」「救われたいから救われる」サプリメントの氾濫する状況においては不思議ではない。承認を渇望。後はその「サービス」を可能にする所得があるかどうかだけじゃないの?
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