ひぐらし澪尽し編覚書3~選択肢の効果、梨花への嫉妬など~

2008-07-14 00:32:55 | ひぐらし
さて、澪尽し編覚書も第三段と相成りました、と前置きはその辺にして、とっとと内容に入りましょう。



○茜のむいた牙…かけることの大変さ+茜の見せ場
→口だけなら何とでも言える。皆殺し編の団結よりも一歩先の結束
このイベントは、魅音と茜の対決という側面もあり、それによってしばしば頼りなさを見せる魅音が本当の意味で独り立ちする姿を描こうとしていると推測される。


○実はバッドエンドの分岐が三箇所ある→そんなに甘くねえよ、てか?
澪尽し編では、沙都子、詩音、レナが惨劇に巻き込まれないように圭一と梨花が協力して動くのだが、選択肢が選択肢が何個か出てきて失敗すればバッドエンドとなっている。これは、簡単には大団円には到れないようにする演出だと言えるだろう。その狙いは、大団円に有難みを感じさせること、そしてもう一つは「メガロマニアは国家陰謀の夢を見るか?」で取り上げたようなご都合主義的団結及びそれへの批判の回避だと推測される。また、その意味では、祭囃し編は対鷹野に特化した話だと言えるだろう。


○詩音と鷹野の類似性
詳細不明。


○かつての記憶は羽入によるもの
圭一たちが見た他の世界の「夢」、「記憶」が羽入の力によるものだという説明。原作で説明がなかったためご都合主義だとか突っ込まれたためこのような説明がなされていると思われるが…このことは、「奇跡」なるものの根源が結局神の力によるものでしかない、という見解を補強する(もっとも、神がいなければ「奇跡」どころかループすら成立しないのではあるが)。そうすると、「ひぐらしとオウム真理教」の話が説得力を増すわけだ。


○「外国でもお目にかかれないトラップ」
これは祭囃しでも出てきた沙都子のトラップへの評価。パラノイア的に繰り返しているが(笑)、「戦闘力の問題」なども含めてひぐらしはリアリティの軸を設定するのに大きく失敗している感がある。もちろん、Type-Moon的なシーンを入れたいとか遊び心があるのは一向にかまわないのだけど、最初の方が心理描写などを含めてあまりに生々し過ぎたので、どうしても浮いてしまうのだなあ。これも以前書いたことだけど、金田一耕助シリーズがいきなりドラゴンボール化したら、シュールな笑いは取れても作品としては質が下がってしまうのよね。難解な事件を前に「オラなんかワクワクしてきたぞ!」とかいう金田一も乙なもの…ってそれじゃあ単なるパロディか。


○羽入のネガティブ発言は梨花を奮い立たせるためのもの(羽入談)
とおっしゃっているが、「ひぐらしのなかせ方」では、羽入のネガティブさと梨花のポジティブさが対照的だと作者自身が述べており、上記の説明は単なる後付けのように思える。


○梨花と鷹野の対立構造(神―人、慕われるもの。鷹野―1人)
という説明だけだとよくわからないが、要するに、鷹野は孤独であるため村人から神の生まれ変わりとして慕われている梨花への嫉妬が生まれ、それが梨花を殺害する動機の一端をなしている、と言いたいらしい。なお、以下の覚書もそれを受けたものである。


○最初から一人なら、割り切ることができたかもしれない。しかし彼女は、高野という庇護者に触れてしまった。もう、それを求めずにはいられない。
→安心できる人=富竹。得られない渇望→梨花への嫉妬・憎悪


○羽入が梨花に拘る理由…寂しさだけでなく、娘と同じだから
澪尽し編覚書1でも触れたが、羽入の娘(桜花)と梨花のビジュアルはほとんど同じである。つまり、梨花に執着するのは久しぶりに会話できる相手だからというだけでなく、娘を重ねているためだ、と言いたいのだろう。ただ、この構図の狙いはそれだけに留まらない。おそらく、羽入が自分のエゴで事件の解決にあまり手を貸さず、その結果ループを繰り返させていることへの批判を和らげる意図があると推測される。


○「人身御供」となった羽入…鷹野の変わりに罰を受け、罪を贖った。
鷹野が撃たれたのを庇ったシーンの話。普通これで鷹野は死んでいるはずだが、その代わりに羽入が死んだ(or消えた)ことで鷹野が直接的に罰せられないまま作品が終わることへの違和感を解消しようとしたのだと思われる。これについては二つあって、一つは羽入が症候群になった人たちの罪をかぶるような存在であること。そしてもう一つは悪さえも赦す、ということである。一つ目は「ひぐらしのなかせ方 祭囃し編」の中で、「症候群になった人間は被害者だ」という視点が成り立つが、それはつまり羽入が症候群になった人間の罪をかぶっているというということなんだ、という作者自身の説明がそのまま当てはまる。二つ目は、悪人(とあえて言うが)も救うことで善の側の度量や正当性を補強しつつ大団円へと向かう、という物語の構造であるが、これは『小公女』の原作とアニメ版の違いについて考えた記事を参照してもらいたい。



覚書は以上で終わり。では最後に。
今述べた鷹野の赦しの構造、そして「澪尽し編覚書2」で書いた沙都子の罪の抹消などを見ればわかるように、澪尽し編は殺人という罪の回避や贖罪の構造をかなり意識的に書いている(おそらくそれが、大団円の条件だと思うからだろう)。さてそうすると、実は澪尽し編においてそれらを通過していないにもかかわらず、赦されている人間が一人いる。次回は、そのことについて書いていこうと思う。

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