【背景】
日本人の自己肯定感の低さ+日本社会における自己責任論の蔓延+日本の経済衰退
【合理的行動】
リスクヘッジマインド(自己保身)→極端なコスパ・タイパ志向の増加
【結果】
・「寄らば大樹」的思考→旧来の仕組みの温存+イノベーションが極めて起きにくい→経済衰退脱却困難
・人間関係にもリスクヘッジを強く求める→相談がしづらい(人に弱み見せづらい)→自殺の増加など
・リスクヘッジマインド→相手により一層の安定性を求める→条件に合う人間の減少+経験値蓄積×→恋愛・結婚・出産が減少
【展望】
・経済衰退+少子高齢化で生活の難易度上昇→この傾向はさらに加速
要するに、今の状況はボロメオの輪のようにして出来上がっているため、1つ2つ解消した程度では精々悪化の速度が緩和するくらいであり、そもそもある問題を解決するためには同時に他のものとの連関で対応する必要もあったりして、1つの事案を何とかすることすら困難な状態になっている(メンバーシップ型雇用の温存・地方公務員志向の強化・結婚相手に求める条件の非現実化などなど)。
で、このような状況を論理的・直感的に理解していれば、余裕がある人間は国外脱出し(どこにでも所属できるようにし)、そこまでするのが難しい人は国内での生存戦略に最適化することになる(=ファスト教養的なものが台頭する背景。そら社会問題がどうこうとかより個人の生存戦略に特化しますわな)。そして残りの大半は茹でガエルになるという寸法である。
もちろん、日本全国を見渡せば、イノベーションが起こっている部分はあるし、そういう厳しい社会になっても泰然と生きていく人間も一部にいることは事実だ。しかしそこに注目するのは、確率論や蓋然性を無視した見解であり、喩えて言うなら「結核にかかっても死なない人間はいたからペニシリンを発明する必要はなかった」という程度には暴論である(大勢の話をしている時に、少数派の事例を持ち出して鬼の首を取ったかのような物言いをする人間が少なからずいるのは不思議なことだ)。
そしてこういう日本の構造的病理を端的に示したのがジャニーズ問題であり、それが外圧によってようやく前景化したことは、日本社会の自浄作用の低さと、その背景として問題系が諸々の組織・人間の自己保身によって成り立つ連関構造から成り立ち、何か一つを解決すれば済む話ではないことを示したと言える。
なお、その背景には、「どう事態を変えていくか」よりも、「いかに目の前にある事態に対処するか」が重視されがちという「現実>理念というベクトルが生み出す長期的展望の欠落」があり、かつそれと連動するセクショナリズム的な無責任体制と両論併記的姿勢(「和をもって尊しとなす」の弊害的側面)があると思われる(言うまでもないことだが、現実に全く根差さない理念などというものは愚の骨頂であり、必要なのは理念と現実の緊張状態を踏まえた永遠の微調整による不断の変化だ)。
またそう考えると、「鎖国」だとかそれに関連して「江戸時代への回帰」のようなものを提唱するような姿勢は、そもそも実現不可能という点で現実逃避の産物であるのは論をまたないが、それ以上に閉鎖社会が抱える問題系をあまりにも理解していない愚かな発想と評価できるだろう。
とまあこの手の話をするのももうそろそろええやろ、て感じだわな😌以上で問題の巨大さ・複雑さ・深刻さを説明したつもりではいるが、別にそれで問題が解決するわけじゃあないしね。あとは実際10年後、20年後どうなるかまあ見てみようじゃないかって話である。
ただそれでも今回この記事を書いたのは、今毒書会で扱っている『イデオロギーとユートピア』に絡めてあれこれ覚書を作っている中で、改めて「存在による思想の拘束」という視点を踏まえ、現代日本社会の一般大衆の思考様式の背景は何かを述べておくのは重要だろうと考えたからである(あえて言うなら、それに対して「インテリ」たちが限られた部分にだけ焦点を当てて解決策を提示したところで、経済学で言うところの「流動性の罠」などと似て、問題は解決などしない)。
この点についてさらにその言行の性質を抉るなら、問題があることの意識や将来への不安から問題点やその解決を訴えはするが、一たびそれが自分の足元を脅かしうると認識するやいなや、途端にその合理性やら重要性を喧伝して頑強に抵抗し始め、その現象がそこここで起こるために、結果として事態の変化は遅々として進まない、ということが生じていると言える(そしてその変化の速度は内的要因と外的要因の双方による日本社会の状態悪化に追い付かないために、数十年の間はどんどん悪化の一途をたどることになる、という話。そしてその悪化の中でさらに新たな問題が惹起し、今予測されている状態よりも事態は深刻になっている可能性が高い)。
これは要するに、「社会のレールがある程度決まっており、そこから外れると人生の難易度が突如極めて高くなる」という認識と、それをある程度裏打ちする現実も存在し、その不安ゆえに生存戦略として自己保身に走らざるをえない、という事情があると考えられる(ジャニーズ問題で述べた、あれを単に「性悪説」的な文脈で理解すると間違う、という話にもつながる)。
例えば生活保護やその受給についても、単に権利の問題だとか弱者救済といった話だけでなく(というか、反対者にそのロジックでは基本響かないことを踏まえた方がよいと思う)、こういう社会傾向を踏まえてどういう対応が必要なのかを考えていく必要がある(と書いてはいるが、今のところ現実に可能性が高いのは、さらなる生活不安=個人的不全感からくる生活保護バッシングであり、社会的公益性のためにその拡充へ意識が向くという展望を描くのは難しい。まあだからこそ、そういったスティグマに加え手続きの煩雑さを排除するためのBI導入議論があったりするわけだが)。
とまあ折角マンハイムの件を何度か書いているので、普段の記事にも結び付けた話をしつつ、この稿を終えたい。
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