万松院を見学した後、オープン当日(4/30)の対馬博物館を訪ねてみた。
外装もきれい😍では中身はどうかな?
常設展と特別展に分かれていたが、まずは常設展へ。
こんな感じて各時代の代表的な遺跡や事件が紹介されている。
そういや元寇って福岡での戦いはクローズアップされるけど、対馬や壱岐の状況は触れられてるのをあまり見たことないな。そこらでも上陸しようとすると元軍と地元軍との戦いが展開されましたよと。
で、あれこれ見ていると、
こちらは中世の朝鮮王朝で書かれた「海東諸国記」と、そこに所収された対馬の地図。これもはやアワビじゃん🤣まあ今より正確な測量は難しかったのはあるにしても、島の厳密な形にはあまり興味がなかったのかもしれんね。
てわけで、ほぼ同時代に朝鮮で作成された地図(混一疆歴代国都ノ図)を思い出した。そもそも日本列島並びすら不正確で、せいぜい九州付近が概ね正しいくらいだ。樺太?北海道?ナニそれ美味いの?状態ですな(゜∀。)
この地図にはモンゴルの影響があったとされるが(そもそもユーラシアをここまで広範に記述するには、パクス・タターリカなしにはありえなかった)、とすれば攻め込む対象の九州以外はまあ上陸した後で調べればいいや、ぐらいのテンションだったのかも😀
気になったのは、日英韓三ヶ国語表記と各項目の日本語のみのケースがあることだ(さすがに見出しは全て前者のようだが)。これは準備が間に合わなかったのか?それとも何か意図があるのか?そこらは謎である。
気になったのは、日英韓三ヶ国語表記と各項目の日本語のみのケースがあることだ(さすがに見出しは全て前者のようだが)。これは準備が間に合わなかったのか?それとも何か意図があるのか?そこらは謎である。
日本と朝鮮半島という二つの勢力に挟まれ、かつその間の交易が経済に極めて重要な対馬は、文書を偽造してでも良好な関係を維持させようとしたようだ。
こちらは江戸時代の朝鮮通信使の通ったルート(後日聞いたところによれば、広島の蒲刈駅は「通信使ゆかりの地」というアピールをしていたそうな)。
最後に対馬関係の資料の所蔵状況。こちらも国境を越えて存在しているのだなあ・・・
というわけで見学終了。ほいじゃあ次は昼飯を食いにいきますかね。
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