前回は、自分の負の感情を抑圧してしまうことがうつに繋がるという内容の本を紹介した。もちろん負の感情をいつも表に出してたら社会生活が成り立たなくなるから、負の感情はある程度抑えていかなければならないものだ。問題は、それを自己の内面でも否定してしまっていないか、という点にある。例えば「和を乱すな」という哲学や「相手を否定するようなことを考えてはだめだ」という道徳が奥底に刷り込まれており、自分の中ではっきりと負の感情を形にする前に押さえ込んでしまってはいないか?それは、身体の中に毒を溜め込んでいくのと同じである。いつか毒が一定量に達し、自らの肉体と精神を蝕むことだろう。
また逆に、負の感情に目を向けるはいいがそれに飲まれてしまう人もいる。例えば負の感情にばかり目が行ってしまい、最終的には自分の欠点ばかりを挙げて「やっぱり俺はダメだよなあ」と言うような行動パターンを取る人。結局それは自己の負の部分(前に書いたとおり、これもまた一つの解釈にすぎない)に埋没してしまっているのであり、いわゆる「自己憐憫」に他ならない。そうではなく、自己の負の感情を客観的に位置づけようとする行為が重要なのである。
最後に。いかに人が負の感情や行動を無意識的に思考の外へ追いやっているかを書いて終わりにしたい。
人間は将来誰しも自殺者になりうる。なぜなら、自殺をすることも自殺をしないことも、将来100%確実なことだとは言えないからである。しかし人は言う。「俺は絶対自殺なんかしない」と。ならば私は言おう。「それは今現在の願望を述べたにすぎない」と。
「人間は将来誰しも自殺者になりうる」とは当たり前のことを言っているだけで、別にこれで鬼の首を取ったように気はない。しかしこの至極当たり前のことを忘れてさも当然のように全く非論理的なことを言う人の姿から、いかに人が自分の負の感情や行動を思考の外に追いやってしまう存在であるかを確認することができるだろう。
また逆に、負の感情に目を向けるはいいがそれに飲まれてしまう人もいる。例えば負の感情にばかり目が行ってしまい、最終的には自分の欠点ばかりを挙げて「やっぱり俺はダメだよなあ」と言うような行動パターンを取る人。結局それは自己の負の部分(前に書いたとおり、これもまた一つの解釈にすぎない)に埋没してしまっているのであり、いわゆる「自己憐憫」に他ならない。そうではなく、自己の負の感情を客観的に位置づけようとする行為が重要なのである。
最後に。いかに人が負の感情や行動を無意識的に思考の外へ追いやっているかを書いて終わりにしたい。
人間は将来誰しも自殺者になりうる。なぜなら、自殺をすることも自殺をしないことも、将来100%確実なことだとは言えないからである。しかし人は言う。「俺は絶対自殺なんかしない」と。ならば私は言おう。「それは今現在の願望を述べたにすぎない」と。
「人間は将来誰しも自殺者になりうる」とは当たり前のことを言っているだけで、別にこれで鬼の首を取ったように気はない。しかしこの至極当たり前のことを忘れてさも当然のように全く非論理的なことを言う人の姿から、いかに人が自分の負の感情や行動を思考の外に追いやってしまう存在であるかを確認することができるだろう。
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