メガネをかけた女性:その野暮ったさがむしろ…

2008-03-20 02:49:02 | 感想など
以前「二次元は現実への理想が投影されたものではない」において書いたように、メガネをかけている現実の女性に惹かれる一方で、二次元のメガネキャラにはむしろ正反対の反応を示すという特徴を自分は持っている(お暇な方は「みんなで安部公房」もだうぞ)。まあ二次元というのは大なり小なり記号であって、それが現実と必ずしも重なり合わないのは別に何の不思議もないわけだけど、それにしても真逆というレベルまで違っているとさすがにおもしろい。とはいえ、今回の目的は差異の原因分析ではなく、メガネ好きに関する興味深い特徴を書くことにある。


さて、メガネがいいと思い始めたのは、おそらく大学2、3年の頃であると思われる。その原初まではさすがにわからないが、Tommy februaryのジャケットを見たときの違和感は、今でも覚えている。その違和感とは何か?簡単に言えば、そのジャケットの眼鏡をかけた女性(それがブリグリの川瀬智子だというのは後で知った)がやたらに気になる理由が全くわからなかったのである。例えば、メガネをかけていることで知的に見えるとか、かわいく見えるとか言うのならばわかるし、「眼鏡美人」という言葉だって存在してはいる(まあ死語な気もするけど)。しかし、そういった感じは全然なくて、むしろ逆に野暮ったい印象さえ抱いたほどだったのだ。にもかかわらず、なぜこうもジャケットが気になるのか……(ちなみに、縁なし眼鏡よりも縁ありの方が断然好きなのは、この一件の影響かもしれない)。この傾向は今でも続いており、眼鏡をかけている女性に反応する場合、特別にその人が美人なわけではなく、むしろ野暮ったい(並というよりマイナス)ことが少なくない。


さて、こうなると問題をTommy februaryに限定するわけにはいかなくなってくる。なるほど人が美味いものを求めるのはわかる(もっとも、それは女性の好みと同様に千差万別だけど)。しかし、美味いと思わないものに執着してしまうというのはいささか奇妙な話ではないか。もちろん、「蓼食う虫も好き好き」なんてことわざを持ち出して説明することはできる。だが、事はそう単純ではない。というのも、俺が野暮ったい女性を一般的に好むのならそれで問題ないのだけれど、対象が眼鏡をかけた女性に限定されており、かつ自分自身でもなぜそれに惹かれるのか疑問に感じている以上、その説明では不足なのだ(好みを[細胞]膜で喩えるなら、問題はその選択透過性の内実だ、とでも言うべきか)。


もちろん好みというものを全て論理で説明できるなどとは思っていない。しかしそれでも、この眼鏡に対する反応は、最初に述べた現実と二次元への反応の違いという点も含めて、様々な問題に繋がりうる非常に興味深い題材であるように思うのである。
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