ChatGPTは何を語っているのか?:あるいはAIの「進化」と人間の「劣化」について

2024-01-15 12:28:26 | ことば関連

 

 

人間本来のスペックや認知の形態を考えた場合に、ここで言われているChatGPTの「理解」と人間の「理解」の差異はどのようなものか?という問いはなかなかに興味深い。

 

しかし私がより重要だと思うのは、この「理解」というものを「経験知」として置き替えたなら(実際サムネにあるリンゴの喩えはそういう話だ)、こういった問いを通じて、人間とAIの本質的な差異よりも、今まで私が何度となく言及してきたAIの「進化」と人間の「劣化」という問題系を、より鮮明に理解できるようになるという点である。

 

すなわち、AIの「進化」とは、より多くの情報をインプットすることによってより「それらしく」説明できるようになることであり、この機能は日進月歩である。一方で、人間の「劣化」とは、ネットなどに溢れる情報の洪水で溺れそうになりながら、必死にわかりやすい着地点(結論)ばかりを求めた結果、レッテル貼りやら陰謀論に簡単に飛びつくような状況である(これは昨日述べた松本人志の戦略的ミス、すなわち情報の出し方を誤ったことによる大衆の印象操作の失敗ともリンクする)。

 

その結果として、AIと人間は本質的に異なる部分はあるのだけれども、手っ取り早くノイズの排除された結論・結末(cf.ファスト教養ファスト映画)だけ欲しい大半の人間にとっては、その差異はどうでもいいものだし、ゆえにAIが「不完全な神」であれ、他者(必謬性を負った人間)という「ノイズ」を嫌う者は、前者にコミットするようになるのである(これは単に個々人の問題に収まらないという意味で、サンスティーンの『熟議が壊れるとき』などを想起するのも有益だろう)。

 

もちろん、AIの急速な発展が注目されているからこそ、その特性を考察・注意喚起することには一定の意味があるし、おそらく今後バックラッシュなども生じるだろうから、将来に向けて動画のような議論は重要である(ちなみに、この文脈で考えると、なぜ成熟社会で身体性の大事さ、例えば体験を媒介にした文字情報だけに依拠しないacquireなどが叫ばれるのかもわかりやすいだろう)。しかしながら、先に述べた人間の「劣化」という要素が意識されることなしに、ただAI賛美論を語るのもAI否定論を語るのも、ともに不毛であると述べておきたい(なお、元々のシンギュラリティという発想には真逆に思われがちな宗教的背景があることはすでに述べた通りだ)。

 

なお、この動画に関連するものとして、言語習得もさることながら、文字情報の扱いや言語ゲーム、社会システム論といった視点でプラトン、ヴィトゲンシュタイン、キットラー、マクルーハン、アンダーソン、ルーマンなどを挙げることができる。また「言語」の定義にもよるが、そもそもそれが人間の特権的な所有物かどうか、といった点も議論の余地があるだろう。

 

 

 

 

以上。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 松本人志に関する性加害報道... | トップ | 始まりは今(エレカシ風に) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ことば関連」カテゴリの最新記事