久々の同窓会で盛り上がった後、銀座通り付近でふくっちょを拾いカラオケに行く。
ヤツと会うのも中学以来なんであれこれ話しながらの移動だったが、ケンシロウが同じS高校だったことすら忘れてて、違う高校の俺が大学の進学先も覚えてるってどーいうことやねんと突っ込んでみたりwにしても、ふくっちょの格好がチェッカーズみたいでおもろいわ。まあこいつの場合ベビーフェイスなんで、中性的になって何とも掴みどころのない雰囲気を醸し出しておるがw
んなこと考えとるうちに、北熊本のシダックスへ到着。仲間うちで話題となった「ケンシロウは歌わない」というテーゼは証明され、Iさんとなにやらシビアそーな話をしていた。他のヤツは歌い慣れててうまいが、その中でもウエッキーは群を抜いている。「瞬きもせず」、「シャイニン・オン 君が哀しい」、「PIECES」などは背筋が震えるくらい心に響くが、一つだけ残念なのは、ヤツの歌で気に入って原曲を聞いた時、たいてい(ヤツの歌ほど圧倒的な感情の奔流を引き起こすものではないため)幻滅するってことか。
それにしても、他の人たちと何が違うんだろうといつも疑問に思う。俺も含め他のヤツの歌は、いくら上手かろうが「コピー」にすぎない。つまり、単に精度の問題だけだ(バンドのボーカルをしているヤツの歌なども何人か聞いたが、この認識は全く変わらない)。ベンヤミンというおっさんがオリジナルに宿る独自性・交換不可能性を「アウラ」と表現しているのを見ても権威主義じゃねーのと半分俺は疑っているが、その一方で半分はありそうだと感じるのは、こいつの歌みたいな実体験があるからなんだよね~。
なんて考えながらテキトーに歌っているうちに、隣のTさんがウイスキーで死にかけたのでお開き。車を待ってる間、男連中で女の話にて盛り上がる。風俗の話をしてる中、我が従弟コンドームが童貞ハリーだということで風俗で卸ろせば?という話になった。するとヤツが「くだらない」と返答。まあ予想通りだけど、それならそれで「くだらなさ」とやらを体感するためにも行っとくべきだと思うぜ。その経験で2、3万なら安いもんさね。ま、あんさんがハマっちったらその時は知らんけどさ(無責任)w
男連中はケンシロウの家に行って話し込むつもりみたいが、俺は明日(大晦日で)八代に行かねばならんためお暇した。にしても、夜風が冷たいなあスミス・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます