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おいおい、本丸まだあんなに遠いのかよ。そこそこ登ったんだぜ・・・
というわけで、炎天下の中島根にある有名な山城、月山富田城跡にやってきたわけだが、これはなかなかに峻厳な地形であることだ。
前に八王子城(と言いつつ高尾駅が最寄り)に登ったこともあるので、まあ似たようなもんやろと考えてたら、真夏って要素を甘く見てたのと、彼方に見える山城跡の威圧感が何とも重苦しい雰囲気を醸し出している。
まして、この状況を武具を装備した上に相手の妨害つきで攻め入ったのかと思うと、戦慄が走るわ😱
まあだからこそ、大内・毛利の連合軍を撃退することもできたわけだけど(もちろん背景には様々な調略合戦もある)。
あそこでもし尼子軍が敗れ、大内方に併呑されていたら、おそらく太寧寺の変も起こらなかったし、そうしたら足利将軍すら凌ぐ朝廷の官位を保持していた大内氏は、三好氏のような地位どころか、それ以上の存在になっていたかもしれない。
だとすると、足利義輝やその暗殺、あるいは織田信長の台頭もなかったわけで、つまりこの堅牢な山城は、西国の歴史どころか、日本の歴史に大きな影響を与えたとさえ言えるのではないか・・・
まあ歴史にifは禁物とよく言われる(今の話が許されるなら、そもそも塩冶興久の乱で尼子経久が窮地に立たされた時、仮に大内が全力で塩冶氏を支援していたら、そこで尼子は終わっていたかもしれないわけで)。
ただ、そんな妄想を掻き立てるほどにはロマン溢れる場所であったと記しておきたい(・∀・)
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